水呑み百姓。

最近のスズキ君。
かつての「下肥」汲みのヒシャクを担いで、
薬局のルート営業のように顧客(田)をひたすら回る日々。
このヒシャクが自分の背丈と同じくらい尺があるので、
昨夕、マムシ(小)と遭遇するも、もう一人の俺が居るかのようにヒシャクでもってわしっと抑えられた。

大口のクライアントその1。
上が休耕田のため、四季を問わず晴天雨天を問わず、
遠慮なくどんどん水がしぶって田に入ってくる。
乾燥や砂漠化とは無縁の水と緑の芸術祭。
仕方ないので落語の長屋精神で「まいったねどうも」とつぶやきながら、
山側の際に排水用の溝を切る。
・・・が、ひとたび雨が降ると、溝が泥で埋まって平らになる(2行前に戻り、繰り返し)。
しかし水が田にあふれてなおも仕方ないので、
穴開きスコップで隅に穴を掘り、ひたすらにたまった水を汲んではルート営業の日々。
夕方に時間ができると、次なる田んぼへ上がり、穴を開ける新規開拓セールスの日々。

先日まで続いた長雨で、山中月ヨメ沢の新名所だった”シンバ”の滝が暴れた。
崖に立っていた杉の木を2本も崩落させて、
下の沢を土砂で埋めて、橋まで埋まり、道路を土石流が覆った。
(山中土木部の出番かと思ったら、”しちすけ”のジサが一人で片付け終わっていた。すげえ)
写真は土砂が流入した”きちごろ”の田。
自然は原野に還ろうとしている。
ニンゲンは自然に内包されている。
* * *
援農(水汲み、田畔づくり、稲刈り)、体験、随時歓迎。
時給:スマイル
道具:長靴(帰りは沢で洗えます)

田畔(たあぜ)、もしくは手畔、小畔ともいう。
山からのしぶり水を際で何とかしようという苦肉の策。
ただし、田んぼよりも水位が高ければ二段階右折(?)のように段々になって水は結局田に染みる。
水草が生えればそれが摩擦抵抗となって泥が詰まり、水はその場で澱んでしまうのみ。
山の田は天水に内包されており、平場で田んぼするのとは違うスリリングな展開が毎日続く。
この物語は実話であり、全米が涙し、興行収入第一位も遠くはない。
先日、東京ミットタウン21-22デザインサイトにて催された「コメ展」の折、
”百姓”の映像(楮刈り、紙づくり、薪割り、土木工事の木釘を掛矢で打つ、はさ掛け、千歯こき、
鶏をしめる、ばあさんの大根洗い、白菜とりなど)と、
門出和紙の小林康生親方のインタビューが流れたとき、
涙を流しながら見ていた客が何人も居たと、ヤスオさんが記していた。
<田舎の人々が見たら誰もこれ程には感動しないであろう。
この涙は、人々がかつて自然に寄り添いながら暮らした時代のDNAが発するところから来る涙なのか>
(『じょんのびだよりVol.70』大地に足をつけて暮らす)

10月12日は狐の夜祭り。
高柳にカメラマンがもっとも集う一日でもあります。
幻想的素敵。

昨日のタクミ、じゃなくて、昨日のフミエ、でもなく

昨日のホソダ君。
稲刈りの端刈りをイサオ先生に習う。
足が長いというのも大変なものかもしれない。
姿勢が真っ直ぐすぎるのも然り。百姓仕事していればいずれ背は曲がろうもの。
自然のなかに機械的直線は存在しない。
ニンゲンは自然に内包されている。
怒涛の稲刈り(今年は「最悪の年」といろんな人が口にしてます)シーズン突入。
ワタシも今日から刈ります。
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by 907011
| 2014-09-14 07:58
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