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山中記

三方よし。

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昨日。
山中生産組合で月ヨメ米の籾摺りをして袋詰めをさせてもらった。
写真は籾摺り作業場のニ階。
大規模では決してないけど、乾燥機を通った籾はいったんニ階に上がり、
その後籾摺り工程へと降りていく。

作業場の改装およびニ階のタンクは、うちの隣りの”しょうべえ”のチヨエイさんの手仕事。
元大工のチヨさんが、高柳の”農機具の医者”春日農機のオヤジと毎日ケンカに明け暮れながら作ったのだと
はしごを下りながらシゲル親方が笑って話す。

マツナエ夫婦のおかげで、ところどころ継ぎ接ぎだらけで勉強不足だった
稲始末の一連の工程を身体を通して知り得ることができた。
山の米をつくるのは困難を伴うことも多いけど、
秋に実った稲穂がその後玄米となるための手間は、さらに伝わりにくいのかもしれない。
籾摺りは臼(うす)挽きとも呼ばれる。
昔は石臼や木の臼でもみ殻をむいて玄米にした。
その難儀な部分にはまだ想像が及ばない。

 * * *

山中に暮らしていると、一事が万事その相似形のようなもので、
いかに自分が「継ぎ接ぎ」の理屈を都合良く編集し、しれっと生きているのだなあというのが、
時間をかけて心身を通して体験してみて、そのおおよそを俯瞰できた時にはじめて「知る」ことができる。

脳は頭蓋骨に守られていて、
だから守られているからこそ、脳みそそのものは身体の内側にまさしく”ブラックボックス”として在り、
視覚は目の前の情報を脳に送り続けて、聴覚は耳に音を吸い集めてこのブラックボックスに送り続ける。
脳そのものは真っ暗闇に居て、見えてないし聞こえてないし音も発しないけど、
それらの情報をできるだけ統合させて論理的にあるいは感覚的に行動を判断する。

判断の材料として、これまでの身が置かれてきた環境とその移り変わりや、
これまでの選択の仕方の記憶や直近の感情(ヒーロー視した人物への憧れとか)など、
感覚の内には、遺伝子的な本人に潜在的に在る要素も含まれていると思う。
初めて訪れた土地の風土や古い建物を見て、「初めて見た」以外に湧き起こる感覚、
「どこかなつかしいようだ」といった感覚はまさに”記憶の力”なのだなあと思ったりする。

 * * *

ブラックボックスを物語る面白い実験があった。
ある漫画を被験者に読ませて評価してもらう上で、
一つの群にはペンを横に「いぃー」っと噛んで漫画を読んでもらうのと、
もう一つの群にはストローを縦にくわえて「うぅー」っとなりながら読んでもらう。
果たして、漫画の評価は前者の方が高くなった。
「どういう理由かというと、顔の表情が笑顔に似るからなんです。」という実験。

牢屋に入ってるみたいで、なんにも見えなくて、
外界から完全に隔離されてる
ひとりぼっちの世界なんです。
だから、脳それ自体では、
外の世界のことはわからない。
(中略)
どうやったらわかるかっていうと、
ひとつしか方法がなくって、
身体を通じてわかるんですよね。
池谷裕二『脳の気持ちになって考えてみてください。』


今日からペンをくわえて稲刈りしましょう。
(そんなワタシは実は大学は心理学専攻だったりします。夜しか居なかったけど)

 * * *

小雨を見計らって田んぼを貸してもらった家々に年貢米や一口頼まれた米を配って回る。
その家の田んぼの米を年貢として返せることは、
素人百姓の自分であってもとても清々しい気持ちになる。
塩沢の頑張る若者ヨシアキ君がかつて唱えていた「コメ本位制経済」という言葉を思い出し、
しばし考えさせられた。

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始まる前にコンクリ床にチョーク書きされた、”金べえ”教授の計算。
果たして、終わってみたら22袋が玄米となった。お見事。


博士はいつも数字のそばにいた。
まるで愛おしいものに寄り添うように、じっとそこに佇んでいる。
数字と愛を語っている間は、じゃまされるのを許さない。
博士と数字の語らいは、それほど尊く慈しみに満ちていた。
(小川洋子『博士の愛した数式』)


また雨が降りましたが、残り3枚。
半分くらいは潜りながら手刈りの時間になりましょう。
明夕に再び生産組合を頼んだので、今日明日でどうにか二人で二枚刈りたい。
頑張ろう我ら。

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by 907011 | 2014-10-04 06:35 | Trackback