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山中記

けものショック。

今週は子を歯科検診に送ったのと夜会議に降りただけで、
山中の冬がよく堪能できた。

雪、降る。掘る。運んで除く。
雪、さらに降る。上書きされる。
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遠くに除雪ブルの後退音を聞きながら、
かんじきとスノーダンプの道具2つ(+人力)でひたすら外に居り、
「家の周囲半径5~10数メートルにどのような世界を描けば一冬まわせるか」
「家と雪との関係がどのようであれば、日々の自力だけで維持できるのか」
と白い中で考え続けながら、かんじき道と家の屋根外壁と頭上からの雪とをひたすら見比べ続ける。
これは数年前に”夢の森”で聞いたパーマカルチャー的デザイン論と善く重なる。

古屋敷に潜入して廃材を切る。
かくして「雪&薪」で大人の生活5日分くらいの時間が構成された。
じつにストイック。
健康的厭世感。
「生」に超前向きな構えの、引き籠もりの新しいカタチ。

・・・と書けば前向きなカタチ風ですが、
元旦二日から今日までずっと「けものショック」に恐ろしく痺れたままです。

 * * *

一夜に一羽ずつ、
3日続けて鶏がケモノに殺されてしまった。
アイガモ夫婦と若手の雄鶏。もっとも元気なところが夜中のうちにやられていた。
亡骸を見ると、首が激しく傷んで食道だけでかろうじて頭がつながっている状態。
血を吸った痕からイタチが夜中に侵入して襲った模様。

侵入経路を探そうにも、調べたら3センチ程度の穴から頭が入ればどこからでも入れるのだと分かり、
3羽目の雄鶏が背側から激しく襲われた痕を見て、
新居2階に残り10羽を担いで移した。
すげえなあ、野生。すごい敗北感。

最初の被害(アイガモ雄)では何が起きたのか分からず、
翌日アイガモ雌がまったく同じ傷になっており、
そこで即動かしておけば3羽目は防げていたのかもしれない。
が、あまりに悲惨な姿にすっかり心が折れてしまい、
その亡骸をしばらく埋めることもままならずおろおろとしてしまった。
(後日、家人が隣りのチヨさんに会うと、
 「昼間に台所にテンが居て鍋の中身を食っていた」と話していたという。
 イタチかテンか。)

その後もどうにも折り合いがつかないまま過ごす。
起こってしまったことは仕方なく受け止めるのと、
今回目に焼き付いた凄惨な光景をどうにか糧にして次につなげよう等々考えるものの、
現状の鶏たちで止めにしようかとも考えたり、考えなかったり。折れるなあ、心。

雪にすっぽり埋まって真っ暗になった古屋敷に薪をつくりに入るたび、
いろんな感情がない交ぜになる。
序盤は「とらばさみをセットして、外で野生の生き物とかに与えて鳥葬をしよう」などと企んだ。
日々刻々と変わる自分の感情の沸点(融点?)はいまだによく分からないけども、
喰った(であろう)奴をいかにして抑え込んで、どうしてやろうか、
そんな風なことばかり考えていた。
それはそれで気分すっきりだとも思う。

わずかながら時間とともに沸点&融点はさらに変化し続けて、
感情の処理について、
たとえばこっちがそれで優勢になって処分しても、
それだと一話完結で済んでしまい、結局先には進まないような、
何と言うか「もったいない」ような気がしてきた。
(時間、金、酒、すべてにおいてケチなので)。

同時に、
(残念ながら)そのすさまじい傷に、
イタチ(テン?)のさらに強烈な「意味」を見た気もする。
そうする意味、そうしなければいけない意味。
んな大げさなと笑われるかもしれないけども、生きるために喰うという「意味」。
立場としては「間接的」である自分の感情を上回る、生きる意味。

ヒトはやがて死ぬのになぜ生きる?

 * * *

この冬で何度目になるんだか、
いっこうに頭に入らずぐるぐるぐるぐるぐると読み返した中にあった、
「互いの感情をどう落ち着かせるか」というニューギニアの話を思い出して、
また何度も読み返した。


・私にはニューギニアで事業を営んでいる友人がいるんです。
あるとき、その友人の会社の社員が10歳の男の子を車でひいてしまった。
物陰からその子が飛び出してきて、ブレーキは引いたんだけれども、
気づいたときには遅くって結局、男の子は亡くなってしまった。

アメリカであれば、すぐその友人は まず事業主として弁護士を雇い、
「どうやって社員を弁護するか」という考えに集中していたでしょう。
亡くなった子供の遺族との関係づくりなど、微塵も考えないと思います。
ところが、この事故が起きたのはニューギニアです。全く対応が違いました。

・まず事故の翌日に、亡くなった子供のお父さんが友人の会社を訪ねてきたのだそうです。
そのとき友人は「殺される!」と思ったそうなんですが、
そのお父さんがやってきた理由は、こういうことでした。
「おたくの社員が事故を起こし、うちの子供が亡くなりました。
わざとやったことでないのは、わかります。
けれど現在、私たち家族は非常につらい気持ちの中で暮らしています。
ですから4日後に子供のことを偲んで昼食会を開こうと思っています。
そこへ、来ていただけないでしょうか。
また、その昼食会の食べ物を出していただけないでしょうか」
そういう話だったんです。

・それからは、あいだに経験豊かな人が入って、
どんな食べ物を持っていくべきかといった話がなされ、
なんと事故が起こってわずか5日後に、その社長である私の友人や、幹部の社員、
それから亡くなったお子さんのご両親や親戚が同じ食卓を囲んで、お昼を共にしたそうなんです。
これはアメリカだと考えられない話です。

・昼食会では、ひとりずつが弔辞のようにその子のことを想ってスピーチをしました。
たとえばその子のお父さんが亡くなった子の写真を持って
「死んでしまって、本当につらい。
 さびしい。また会いたい」
といった話をしたりとか。
その場にいる人たちが亡くなった子供のことを想ってみんな、泣いているわけです。

そして、私の友人にもスピーチの番がまわってきたそうです。
彼はもう、あとで振り返っても
あんな辛いスピーチをしたことはなかったと言っていましたけれど、
絞り出すように
「‥‥自分にも子供がいます」
と、はじめたのだそうです。
そして、
「だから、突然に子供を失う気持ちというのはほんの多少ですけれども、
私にも察することができます。
今日はこうして食べ物を持ってきましたが、
こんなものはお子さんの命に比べたら、ほとんど価値のないものだと思います」
と、そんなスピーチをしたそうなんです。
(『J・ダイアモンドさんのおどろくほどクリアな視点』から)


「死」を手にとって眺めて見て、
確かに生きているはずのニンゲンの自分は、
相変わらず、不確かなままの感情を引きずっておろおろする。

不確かで、おろおろしながら夜な夜な布団の中で家人のスマホを拝借して、読み返す。
ニューギニアの話を。極端な振れ幅ではあるけれど。
イタチ(テン?)と俺は共に食卓を囲えないけれども。

・言ってみればこれは、感情の処理をとても重視した
「対立」の解消方法であるわけです。
その場でお互いに泣くことによって、互いの痛みが共有できますし、
亡くなった子供の家族や親戚たちからしても、社長である私の友人が
「ことが無事済んでよかった」みたいに軽々しく思っているわけではないとわかります。
また、その社長や、事故を起こした社員自身も「ひどいことをした」という心の傷を
過度に背負うことなく暮らしていけます。

・こんなふうに、伝統的社会では「対立」が起こったときに
「お互いの感情をどう処理し、どう落ち着かせるか」に重きをおきます。
ですが、先進国においては
「どちらが正しいか、間違ってるか」が何よりの争点で、
それぞれの感情の処理にはまったく思いをめぐらせないんですよね。
(「対立」が起きたとき、私たちは。より)



昨日。
屋根雪掘り(その4)に上がる。
イタチスキー場はさらにゲレンデが拡幅され、
屋根から滑るというよりはもう一つの家みたいな塊になった。

「けものショック」に対して、
果たして自分の感情はどういうところに落ち着きを揺れ戻すのか。
雪&薪のストイックな時間を重ねながら、
身体のきしみと知のきしみを交互に繰り返しながら、
もうしばらくの間、実験する人のようにじーっと眺めたり考えたりしてゆきたい。
そういう供養もある、
と不安定に揺れる自分の感情に留めて置いておきたい。








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by 907011 | 2015-01-12 05:12