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山中記

巡視。

今朝も筋肉痛に脱力しながらの目覚め。

ワタシも歳をとりまして、身体はあちこち痛いものの、
小雪のおかげで、今冬は雪掘り、雪割りの全行程を
スコップ(7年前くらいに長岡のコメリで¥1000弱で購入)とダンプ(でかい重い強い・鉄)と
かんじき(古いのを適当に組み合わせて)の3種の神器により、
身体のみで存分に渡り合えた。分かり合えた、男と雪。
(繰り返しますが小雪のおかげで)雪との関係性が徐々に納得のいくものとなっていく。

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それはおそらく身体のきしみと知のきしみとを交錯させてこそ感じるものであり、
機械なら機械でまた異なる一長一短の気付きがあるのだとも思う。

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3月入ってからコツコツと掘り割ってきた「車の道」がようやっと開通した。
ほんとに車一台分。

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駐車、回転場も軽自動車1台分。

山中の冬で前の”ふじみや”時代から、
七転八倒試行錯誤し、ときどき涙したり、「ムロフシ」みたいに雄叫(おたけ)んだりしながら、
雪掘りをしてみて感じたのは、
スコップで雪を四角いブロックに刻んで投げるという、
一連の同じ動きを夢中で延々と連鎖的に続けた結果、
その軌跡が美しい風景になっていくということ。

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昨日は大会議室(かつての町議場)の窓から、
外の晴天をうらめしく思いながら難しい協議の進み方を聞いていた。
会議とお金や書類の用事などで午前が終り、
すみやかに飯を食ってすみやかにかんじきとスコップとゴム手を持って、
先日春先除雪したヲクサの田んぼを見に行った。

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この春の水を心配して現状確認という感じで散歩がてら行って見たら、
先行して巡視に来ていた誰か(おそらくマサコさん)が、
今春イサオさんから継ぐ予定の田んぼに水をかけてくれていた。

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一刻ほどしばらく冬と春との立ち別れを想いながら、上ったり下りたりして散策した。

 * * *

あちこちで映画絶賛上映中の『風の波紋』の、
小林茂監督がドキュメンタリーの経緯をまとめた本を岩波書店から出版するとのことで、
ほんの一カ所だけ数行程度自分が関わった(全然お役に立たなかったけど)部分などの校正をした。
じつにかっこいい百姓たちが様々に現れては、しびれることを言うのです。
門出和紙のヤスオ親方もまたかっこよく登場します。しびれます。

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白の美

やけっぱちの雪も3メートルを越えると高窓も埋まってしまうので、
座敷もみんじゃ(台所)も便所も風呂場も行く所すべて真っ暗だ。
潜水艦の中にいるようなもので、
そのつど電気をつけたりけしたりさすがに呆れかえってしまう。
ほとんど寝床を住み処とする八十のじいさんが、
朝食と夕食を勘違いしたからといって笑っちゃいけない。

なにせ森も川も音も みんな白い雪に埋もれてしまうのだ。
人々は村を掘り出すのに懸命だ。
次の日も次の日も、また次の日も
掘って掘って ただ茫然と天を見上げるばかりである。
諦めの底から握るスコップは極めて透明度の高い「無心」がある。
物質文明の飽和の中にあって人間の意のままにならない自然に
苦しみと憎しみと怒りとそのあげくの諦め そして悟り、生の実感。
降りたいだけ降りるがよい 積もりたいだけ積もるがよいと思う心と 
天に向かって十指を組みたくなる心が同居し可笑しい、
いずれにせよ雪は人間から遠いほどに美しいようだ。

―――ようやく開いた窓から取る明かりの中で風呂に浸ってみれば、
あくびの中に極楽浄土がぼんやり見えてくる。

雪の国より生れる(和紙の)雪ざらしの白さは 
色としての白というより 光がそのまま紙面に吸い込まれてゆくので 
透明感から発するやわらかな白さがそこにある。
  (小林康生『和の紙』)





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by 907011 | 2016-03-23 05:18 | Trackback