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山中記

はじめての黒姫山。

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異様な小雪のおかげで田植えが例年ではありえないスケジュールで進み、
5月最終日曜日に行われていた黒姫山登りの行事に、
移住6年目にして初めて参加できた。
(たぶん、最初にして最後ではなかろうか)

イトー家の我等とお義父さんと何でも連れていかれるジョージ木村君とで、
3歳を筆頭(?)に30代3人、60代1人という3世代5人パーティが編成された。
このうちジョージ君と俺と子・ガクが、「はじめての黒姫山」となった。

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思いの外さくっと登り終えたものの、圧巻なパノラマに山中を見てとれた。
252からの山中トンネルおよび集落の上の方の仙田トンネル側の道など(錯覚だったら失礼)。
5年間住んだのだなあ俺、などとふと感じた。

 * * *

私的に高校時代の数少ない「青春」の思い出の一つが、
ふらりと入った山岳部(と、毎日修学旅行のような下宿生活)で過ごした日々だった。

あの頃、20kgくらいのザックを背負って2000m弱の山で、
いつも体力切れになってばかりだったけど、
その重たい荷物のおかげで、毎週のようにテントで青春の宴席が催され、
(時に他校有志を交えながら)更けゆく時刻と翌日の行程を度外視して、
先輩と同輩と後輩と、なんだかとても青臭い青春話をした記憶がある。

まったく、山部(山岳部を皆、「やまぶ」と呼んでいた)と下宿がなかったら、
自分は早々に高校辞めたいと思ったし、
転換期を迎えることがないまま進学もできなかったと思う。
自分はじつに愚鈍だったけど、常に善き先輩に恵まれて。
悶々としていた自分に転機を与えられて、今に至る。

まさか、「岳」と書かれたガクTシャツ
(麦麦ベイク・ノリオカさんからの贈り物。れっきとした山グッズのTシャツ)を着て、
登る前の磯ノ辺集落(夏季2戸、冬季0戸)に興味津津にかじりつくような
大人になるとは思わなんだ。
だいたいが、高校時分の「働くワタシ」のイメージは、
ビル街でスーツを着て、携帯電話を左肩と耳で挟みながら手帳にメモしながら、
「それはクライアントの方がいい顔しないんじゃないっすか?」
などと言っているであろう、というような自分の姿だった。

「わかってないこと」に対するイメージとは、えてしてそういうもんだ。


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ゴールのすぐ付近で、遠くに見た大木は、
我ら「はじめての黒姫山」3人衆には、巨大な石碑かと映った。

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なんのことはない、山中・オシノブレ(「牛、登れ」が語源らしい)のブナ林と同じ、
相合傘の落書きが力強く彫刻されていた。

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記念写真を撮るケイキさんを我らは記念写真撮影した。
その後、正しくビールを飲み、おにぎりトン汁などを食い、
岡田の鉄砲打ちに独特の形をしたチマキとイノシシ肉をたらふくいただき、
高校時に買ったザックを枕にして寝ようかと思いきや、
泣き叫ぶガクを背負いながら車まで下山した。

その昔、義父が若かりし頃、
半ズボンに水一本だけ持って、
最短23分で駆け上がったと話していた。

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少し昼寝をして、夕方に2時間、田の草取りをして寝た。
草取りは夢中になってじつに楽しい。
「こんなに楽しくて心地よい仕事は無いと思うんだけどなあ。
 なんで皆やらないんだろう。」と腰を伸ばしながら毎年思う。






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by 907011 | 2016-05-30 04:29 | Trackback