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山中記

「ほころび」というアタッチメント。

「一カ月、どうしても!」キャンペーンに折れて、
我が家の”第2紙”となる新潟日報を読む、この頃の朝飯&晩酌時。

昨日、かぶせ討つかのように現代農業の「ザ・飛び込み営業」の若者が原付で、
俺が家に帰る軽トラを追いかけて玄関まで来たが、
現代農業だけは自分で買って読むので頑なに断った。
あの本だけは定期購読するとまったく読めないストレス
(子どもの頃、授業中にまったく先生の説明が分からなくなり、
 完全についていけなくなった際のストレスに似ている)が
蓄積されていくので嫌なのだ。

「ほころび」というアタッチメント。_b0079965_50944.jpg


そんな新潟日報からの引用。
長岡時代にずっと購読(アパートのベランダや屋上で)していた日経新聞は、
とりわけ文化面の充実ぶりがすごかったけど、
新潟日報はその点、さーっと早く読み飛ばせるので助かると言えば助かる。

日報でも、日曜の書評は気になる。
気になるというか、本を今買ってももらっても借りても、
どうしても読んでいる時間がないので、せめて読んだ人の言葉を読んで、
ねじまがった感情移入をすることにしている。

介護するからだ (シリーズ ケアをひらく)

細馬 宏通 / 医学書院



『介護するからだ』という本を伊藤さんという方が評されていた。
介護と聞く時点で自分は読み飛ばしコースかと思いきや、
「本書は動物行動学出身の研究者が認知症高齢者対応施設でフォールドワークを行い、
観察結果を豊富なエピソードとともにまとめたものだ。」
という冒頭の一文に魅かれる。

何日も何日も頭に残る文章だったので、写経のように言葉を真似て打つ。



<アリは触角をどのように使って情報伝達しているのか?
例えばそんなまなざしを、介護という人間の営みに向けてみると―。

 * * *

見えてきたのは、感覚や認知が異なる者どうしがつきあうときの、
たいていは無自覚な知恵の数々だ。
人間は、行為を行う前にそれに向けて準備をしている。
行為の大目標を意識し、そこに到達するのに必要なサブ行為を予測している。
ところが認知症高齢者の場合、この準備が容易にもつれたり、ほころんだりする。
「お盆を流しに運ぶ」という大目標は意識できても、
お盆を先に持ってしまったために机に手がつけず、
立ち上がれなくなったりしてしまう。

こうしたことは、ありていに言えば「失敗」だ。
しかし著者は、そうしたほころびにこそ、高齢者と介護者の思いがけない相互行為があると言う。
なるほど、若く健康的なからだは、自律しているがゆえに閉じている。
他方で高齢者のからだは、もつれてほころんでいるがゆえに、
かえって他者とのかかわりに対して開かれていると言える。>
(伊藤亜沙・東京工大准教授)




高齢者のからだは開いていた。
山中の年寄りどもと、まだ見ぬ若者との相互行為の指針。

もつれ、ほころび、それゆえに我らも開いてゆく。







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by 907011 | 2016-08-10 04:24 | Trackback