秋ノ田。
翌朝眠る子を車に乗せて、秋田へ。
かならず立ち寄(ってかならずうどんを食ってい)る旅の中間地点・温海の道の駅で
顔を洗って手拭でぬぐっていたら、
目の前の壁にぬらりと居た、庄内弁シンガー深街エンジ。
聞きたいぞ庄内弁。
ビジネスの大小、およびその成否を抜きとして見れば、
結局のところ大きな組織も小組織および個人も、
こういう角度というか、
こういう「切り方」の視点が求められる。
アメリカ映画の予告にしょっちゅう「全米1位」という宣伝文句が出るけど、
あれは一瞬の統計マジックと切り口次第でそのコピーが出せるんだよ、
賢いよねーと、記者時代に教わって以降、
「切り口」とか、その断面を魅せるための切り方の重要性を痛感することばかり。
重要性というか、世の中(含自分)が、総発信時代になったと感じてから、
切り口がまるで無いような断片があふれるばかりだ。
ナマクラだと物語りはやっぱり力が足りない。
「切り口」はすべての言葉の見せ方に、
そこら中の新聞、雑誌などの紙媒体にあふれていて、
中でもナンシー関さんの切り方は相当に参考になると私的には思われる。
* * *
とりあえず深街エンジの存在は、
チーム事務のK林さんにすぐメールをして伝えておいた。
道の駅のプラスチック入れるゴミ箱になっていた。
4つの窓でそれぞれに違った切り口の変な顔を見せる子は、
なかなかアイデアがあって良いじゃないかと思った。
それ、どこで習った?
喜怒哀楽の2つくらいがとりわけぎゅっと凝縮されて、
海を眺めたり雲を目で追ったりしながらも、それぞれに難しい空間や時間を過ごす。
「毎日を機嫌よく暮らす。」というのは、
いわば、毎日の最高の目標だと思う。
機嫌よく暮らし、機嫌よく働く。
それらができれば、その一日は最良のものだと思う。
「機嫌」について、子は子なりに、
じつによく考え、観察し、内省をしたりしなかったりして、
そして「実験」の表現に励んでいるのだと思う。
腹減っているオトナはこんな顔を見せ続けながら、
飯を食わないものなあ。
実験しているねえ。攻めるねえ。
小学校(も名前が変わっていた)への登校の道。
新潟とも違って秋田はとにかく寒い冬なので、
このカントリーエレベーターのあたりで見たツララのインパクトは
いまだにそれを超える存在がないようにすら思う。
学校の帰り道、身の丈もあるような太いツララでチャンバラをして帰った。
延々と続くでかい深い用水路とか、
今の自分ですらどう見ても危険がいっぱいの通学路で、
たいへんよく魅了され、飽きずによく遊んで暮らしたもんだ。
* * *
今回の移動中に考えさせられた、秋田米の宣伝力。
自分にも厭味なく染みついて浸透している、
「美人を育てる秋田米」というそこら中に書かれている文句。
とくに電車で帰省した時に、「はっ!」と気付くのは、
秋田美人がそこら中にうようよ湧いていて、
うごめきまわっていて、思わず感嘆する。
住んでいる時は気付かなかった贅沢。
うちの田舎の結婚率が高いように感じるのは、
秋田美人の影響が大きいかも知れない。
色の白いは七難隠す。
そうこう期待している中で、
仮に意にそぐわない人が現れたとしても、
「オメの親なば秋田のヒトでねんだべ?」などと言ってはいけない。
というようなことに気付いたのが数年前。
で、今回さらに思ったのは、
なにが贅沢感を感じさせ喜ばしいのかといえば、
秋田美人が全員、そこここ中で秋田弁を話し続けている状況だと思った。
昔家庭教師していた時の子どもが、
初めて秋田弁を聞いて、「イタリア語か何かかと錯覚しました。」と言っていた。
あの秋田弁が駅で道で呑み屋であふれているから、
その光景にある自然さが良いんだなと思った。
今回帰省は父の入院に係るものだった。
術後6日目にしてノンアルを呑み、寿司や馬刺しを食い、すこぶる元気。
重い現実を先に知らされた我らと、
これから知らされることになる父。
いろいろ仕方ない。
「仕方ない」という、立ち止り方と進み方の両方いっぺんの感情整理を、
山中で俺は学んで暮らしていると思う。
今回は、自分もいよいよそういうことの起こる歳になったのだと受け止めた。
言葉は軽いものしか出てこない。
仕方ない。仕方ないしまあ大丈夫なんだ。
ガクがよいパフォーマンスをしてくれておかげで、
よく飲み、よく笑い、よく寝た。
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by 907011
| 2016-08-16 03:15
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