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山中記

言語化はあとの芝居。

昨日。
里創義塾から帰り、日常に戻るための一日。
戻ってやはり我らの暮らしは「山中時間」に内包されているのだと想う。

まずこの日常。この暮らしがある。
暮らしをつくっていく、という連綿とした日常がある。

それら現象や行動やそのもの具体があって、
そのあとにニンゲンの感情も言葉も、時間差の後付けでくっつく。

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さて、山中の暮らしを紡ぐ日常。

子・ガクを軽トラに乗せて、
”オシノブレ(「牛、登れ」らしい)”のブナ林を抜け、
かつての山中、廃村・岩野へ。

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ちょうどかみえちごの夏塾と重なってしまい、来れなかったものの、
毎年この時期に、
岩野から現・山中に下りてきた”ごすけ”のバサが
岩野のほこらにススキをあげに来る。
子、上れ。

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道は綺麗に鎌で刈られており、子も登れて善し。
「ここが綺麗です。」と指差しながら言うの図。

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バサがほこら周りと中を綺麗にしてくれていた。
人が一人入れる空間なので、一人ずつ拝むの図。
ごすけが朝に赤飯をふかしてうちにも2つ届けてくれた。
俺はまた稲刈り後の秋祭を終えた後、岩野に来てほこらに落とし板をする。


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畑に「ごすけのバサ」ことスミさんその人が居たのでほこらのお礼を言う。
来年は一緒に行きましょう、岩野。
一人で行くとたまに怖いので。
獣も出るし、霊感強いヒトは何かを感じるらしい。

「オラももうダメど~。」とバサは困り笑いの顔で言いながら、
しかし、たいていのことはなおも笑いながら自分でやる。
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戻って”オクサ”の田へゆく。
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今年も少しずつ寝た。
我ら、ではなく我田では米がよく育ち、そしてよく眠る。
「へぎそば」みたいに今年もまあ綺麗に寝るもんだ。

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新潟の棚田百選のオクサ。
そのオクサの中でも俺の乾いた田は、
日本のヒビ百選に選ばれるはず、の干え方を見せる。
(写真は優秀な他の農家、生産組合たちの水ある田んぼです)

いいねえ、勝手に「日本の百選」に当てはめて考える会。
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夜。
土曜夕方、かみえちごさんの里創義塾を終えて17時。
「今夜はまた楽しい吞み会があったはず。」とどこにも立ち寄らずに
一服しないまま、一心にハンドルを握り、1時間で帰宅。

休憩しなかったので最後に役場の近くのガソリンスタンドで力尽き(?)トイレに入る。
給油される車、排水するワタシ。
反対のベクトルでありながら、それぞれが満たされてスタンドを出る。

帰宅したら、飲み会は翌日だった。
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その翌日こと日曜夜。
高尾集落のミツタカさんライスセンターにて大焼肉大会が開催され、
我らもビールと枝豆を持ってダイブして飛び込む。
枝豆は高尾の親類カツオさんが採ってくれたもの、
岡野町を経て、再び高尾に戻って喰われた。往還。

以前そのカツオさんが出雲崎だったかでもらったカツオをさばいて
うちにもくれたことがあった。
カツオがカツオを。往還。

「もうちょっと網が近ければええやん。」と麦麦ベイク・ノリオカ父ちゃんが言い、
ミツタカさんが速やかに刈り払い機の”ダメんなった刃”をセッティングする。

イサオさんが4,5回乾杯のご発声をする。
今回の飲み会は、適疎やなんも大学やみうらじゅん的思考、
つまりは、一見するとネガティブな要素を、
「それが面白いんじゃないですか!」とプラスに変換する我らの営みから
発作的に開かれた、「マイナス」について考える飲み会だった。

少し遅れて合流した、俺の”心の先輩”ことヤマさん@ヤマザキ農舎が、
弱っている際のニンゲン同士の対話について語り、ヒサミさんがそうよそうなのよと頷く。
新婚ヤマさんの妻・カズエさん@夢の森公園が仕事終わりに合流し、新鮮な風の波紋を魅せる。
その頃には俺とイサオさんとヤマさんあたりは
ほぼ、だっひゃっひゃと笑って酒を飲み、
また少し何か話してだっひゃっひゃと笑い飲むという生態の生き物になっていた。

 * * *

「マイナス」を自分も上越からの帰り道いろいろ考えてみた。
何せ日にちを一日勘違いしていたので。
そもそも、上越でのこのたびの塾の開催も一日ずれて錯覚しており、
そういう観点でいえば、あながち記憶としては正しいような気もするが、
でも実際に日時は一日ずつ記憶と記録が違えていた。

数字という表現は、具体的なものと位置付けされているけど、
この度ちょっと俯瞰して距離を置いて考えてみると、
数字とは、具体のようでいて、しかしながら存在の強度としてはもしや「脆い」んじゃないかと考えた。

数値化しなくてはいけない場面が、現代社会の暮らしに満ちていて、
「数字であらわすこと」が日常化しているけど、
そもそものそこを疑ってみようかという切口でとらえ直してみると、
意外と自分でも考え中ながら面白いことが言えそうな気がした(とく素面なら)。

数値化するという必要は、
それを見たり語ったり売ったり買ったり介助したりコスト化したり、
する側もされる側も、「均一化」するために数字の表現が要るのだと思った。

見えるものも見えないものも、
その対象を均一化して交渉や会話がよりしやすいように数値化する。
対象だけでなく、その数字を介して交渉をする両者もまた、数字のルールの上では平等になり、
その際の個性などは相殺した上で、交渉やプレゼンができる。

 * * *

一方で、しかしながらそうはいっても、数字を使いまくりながらも、
いざ、我らの日常、我らの暮らしは圧倒的な個性の社会で構成されている。
その上、原野に還ろうとする自然および、その地の死者というか先祖たちという、
いわば、もの言わぬ存在が圧倒的にものを言うことで社会が成り立っている。

なので、年寄り同士、年寄りと若手、ときに夫婦間も、
あるいは自然と我ら耕作者とで、もしくは先祖たちと我ら村の暮らしとの間で、
互いの数値化する基準が異なるがために、
数字の、存在としての強度が下がる場面は少なくない。

あわせて、数字を表現する際の「器」にあたる単位であっても、
尺貫法はじめ、かつての暮らしから続くいろんな単位を使い分ける。
広げた手の広さだったり、向こうの山の杉の木のあたりだったり、
その表現法もじつに多様だったりする。
たとえば秋に出す、藁の「一束」がそこんちの家によって、
数字的には違うように。

均一化をルールにしたぴったり狂いのない数字には、
そこら辺の脆さがじつは潜んでないだろうか。

個性を混和させたややズレのある数値化基準を認めながら、
互いに単位の器をとっかえひっかえして確かめながら、
情報を手繰りながら交換する数字は、
しなやかな強さを宿しているとは言えないだろうか。

 * * *

「貨幣そのものには光も闇もない。
 光や闇を勝手につくるのはニンゲンだ。」と誰かが言っていた(うろ覚え)。

それは数字にも同じことが言えるんじゃないだろうか。
数字そのもの、記号としての数値、
さらには表記される言葉というものだってそうだけど、
ニンゲンがその記号に、それぞれの感情や微妙に尺の異なるモノサシを当てはめて、
数字をこねくりまわして、具体を抽象化して、
良いも悪いも、付加価値みたいなものを創りだしてくっつけているとは言えないだろうか。

(「言えないだろうか」なんて書くと、自信がなさそうで、
 「・・・、やっぱり違うか。」と頭をかいて一歩下がりそうになるワタシ。)

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よく笑い、よく飲んだ。
起きたら、夜明けが見えたのでつっかけを履いて外へ一歩。
一歩で、毎日綺麗だなあと感じられる眺めがあってくれることが嬉しい。
いろいろ難儀く、なにを酔狂なこの山の暮らしではあっても、
美しいものに囲まれ、それは無意識になるくらいに、
暮らしていれば溶け込む瞬間が毎日刻々とある。
(溶け込むというか、単に原野か雪に飲みこまれているというか)

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「ここに住みたい。」という純朴な感情は、
移住を覚悟するに際して、最も高い位置にある要素だと私的には思う。
それは「この仕事がしたいから」とか「今の暮らしを変えたくて」というような動機よりも、
変動されにくいと思うからだ。

仕事にせよ、今の生活への疑問にしても、
どこかで疑いや自己否定・他者否定の要素がある動機なら、
次々新説がいわれる情報の揺さぶりに意外なほど脆い。

意識無意識を問わず、否定や好戦的な思考を持っていれば、
それらは対象に合わせて持論が意図せぬ方に曲がりやすい。受動的なように感じる。

社会が変わり続け、揺れが続いても、
揺れに強いしなやかな動機として、単純なる「ここに住みたい。」は能動的だ。

「マイナス飲み会」とあまり関係なくなってしまったけど、
農山漁村、どこでも良いと思う。
「ここに住みたい。」はぜったい強い。








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by 907011 | 2016-08-29 05:28 | Trackback