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山中記

これまでの「狐」(とワタシ)。

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2015(行けず)

山中移住から5狐。
だんだんと傍観者になりつつあるここ数年。

そうか、その前は長岡で普通に暮らしていたのだと、
過去の自分文を見て他人事のように思い出した。
いつも、なんでも、人ごとのようにして、忘れ流されて、暮らしている。

たまに、ヒトがだいぶん昔の文章を見たというレポートになぞって、
自分もふとあらためて長岡での体験記を読み返すことがある。
変わるようで変わらず、変わらぬようでいて変わる不安定さ。

 * * *

いろいろ挫折した後、復興という言葉になんとなく依りすがって、
長岡の不動産屋情報誌をコンビニで読みながら、車中泊してアパート探した日を思い出す。

その頃の自分にとってはものすごーく大きな失敗だとしか思えなかった挫折経験は、
他人事のように分析すれば、
「挫折(小)」くらいなのだと少しずつ切り口を替えながら眺め直すようになった。

無計画さゆえ、思い付きに等しい理想、
それと現実のギャップに割って入って進んでいくためには、
心身の体力はもちろん、手持ちのお金もまた体力と同じ。
ベランダと屋上(後に私物化する)と駐車場のついた安アパートで、
悶々とした時間が何年も続き、
否定と肯定の両方でブレまくりながら、目のまえの事務仕事を通じて、
自分の挫折感は大ジョッキくらいだと(勝手に)思っていたのに、
せいぜいジョッキ(小)かグラスビール程度の、
まだまだ挫折としてもスケールが小さいのだなとある日思った。

時間だけが何も加減しないままに流れて、
眺め直すということについて、
我が事ながら、自分がそうなれたのか、あるいはそうなってしまったのか、
どっちかはまだよくわかっていない。




狐の頃からさらに過去の10月を遡っていたら、
ものすごいタイミングで、前の職場・あぐらって長岡のボス「窯元」から電話をもらった。
今月入ってから今日の昼までずっと陶芸の窯の日炊きが続いていたのだという。
一段落して、お前の米が余っていたら俺が買うぞとありがたいことに心配してもらい、
今年はどうにか全部売り切れそうですと伝えるとそうかーと笑って喜んでくれていた。

うまくできないから、やっているようなこともある。
これは俺にもできるんだよなんて言いながら、やめてしまったこともある。

変わらぬ不安定さに揺れながら今に至り、ブレながら、暮らす。
いろんなことにひそんでいる「理由」や「意味」の部分は、
言語化だけでも表現し切れなくて、本人以外は共有できないことが多い。

綿は軽いが、50㎏分になれば重たい(そしてでかい)。
軽薄さと、重々しさと、両目でときどきは見ていたい。








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by 907011 | 2016-10-09 10:27 | Trackback | Comments(0)
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