人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山中記

八日目に目にするもの。


冬に更新しあぐねている言い訳その2。
ほんとうに体たらくでいろいろ諸事情あるんですが、
一つには、「ネガティブ」な言葉を選んだり、好む癖があるから。
(だから、逆説的にみうらじゅんさんの言葉が好きなんだとも思う)




八日目に目にするもの。_b0079965_07434123.jpg



<一歳くらいになると歩き始める。
 手をつないで歩く。その時に大人と子供の手は互いに自然につなげる位置にある。
子供はもうそこまで背が伸びていて、大人は身をかがめずともその手を握れる。
こちらの人差し指を握るあの小さな手の感触。
それを通じて伝わる動きと信頼感。おぼつかない足取り。
 母親は、それは自分が「おなかをいためて」産んだ子だから
与えられる快楽だと言うかもしれない。
では、父親ならば、どうか?
自分で産んではいないけれど、それでもやはり快楽なのだ。
誘拐した子供を育てる場合と同じように。>
(『八日目の蝉』の解説・池澤夏樹)



八日目に目にするもの。_b0079965_07434110.jpg



冬に寝床でゆっくりゆっくり(数ページで寝落ちする)読んだり、
湯船(私的には「風呂読書」が最良のリラックス時間)でのんびり読んだりしたうち、
もっとも最近読んだ本が『八日目の蝉』だった。

なんとなくで深い理由はないですが、
角田光代さんの本を読むのは人生でもっとずっと先だと(勝手に)思っていたけども、
上記の解説の中で池澤さんが触れてあるように、
「子の誘拐」を巡る展開がこの話の筋だ。
冬の自分はそこに我がネガティブ的な関心を抱いて、手に取った。

春夏秋は土日もなく朝からほぼずっと山に居り、
かといって冬は冬で育児の約97%を家人に任せっぱなしにしているから。
これを読んだら、脳みそのおそらくどこかにある、
自分では見えない何がしかのスイッチを手さぐりできるような(超利己的な)期待をして。


<誘拐は犯罪である。
 それは否定しない。しかし、この小説にあるのは営利誘拐ではない。
母性に促された、いわば生理の犯罪。
鳥の雛が巣から落ちているのを拾って育てるような、
自然の摂理の延長上にあるかのような犯罪
(希和子が鳥の巣に手を入れたことは否定できないにしても)。

 この犯罪に次々に支援者が現れるのはそのためだ。>
(同・解説から)


『八日目の蝉』が気になったのはたまたまふと映画予告を目にしてからだった。
でも、やはり俄然本を、言葉を読む方が身に染みる。しびれる。

本編で私的にもっとも染みたの(長い引用で恐縮ですが)が
以下の文章だった。


<「従業員募集 客室清掃 フロント業務 住み込み可」という張り紙が、
建物を取り囲む塀にべったりと貼ってある。
私は薫と手をつないだまま、隅から隅までその貼り紙を眺める。
 ラブホテルに住み込むなんて薫にとってぜったいによくないと私は思った。
しかし私はこの島に魅入られていた。
薫とここで暮らしたいー―いや、私が薫に見せたいと思ったもの、
空や海や、光や木々や、そんなものを、ここでなら
存分に見せられるのではないかとも思っていた。
海もこわいバスもこわいと両手で顔をふさぐ薫が、
けれど指の隙間からそっと世界を見たときに、
ここならば安心するのではないか。
そうして私があげたいと思ったものすべて、
ここでなら薫は手に入れることができるのではないか。
居場所なんかないけれど、いや、ないからこそ、私はここにもう少しいたい。
この光り輝く夏のなかに。
 私は薫を抱き上げ、思いきって入り口のスモークガラスのドアを開けた。
室内の冷気が私を包み、おもてで聞こえていた蝉の声がすっと遠のいた。>
(角田光代『八日目の蝉』)


とくに、
「海もこわいバスもこわいと両手で顔をふさぐ馨が、
けれど指の隙間からそっと世界を見たときに」以下のくだりを、
俺は何遍か繰り返し繰り返し、湯船で読み返した。
そして、「おとうさんすでに長湯過ぎるので早く上がる」ようにと、
何遍か繰り返し家人に叱られもした。




八日目に目にするもの。_b0079965_07434166.jpg



自分のなかにじつは微かにうっすらある(と願いたい)父性でもって、
子が指の隙間からそっと見る世界を目にしたとき、
一瞬でも、時々でも、数十年後にふと思い出すものでも良いから、
安心できる山の中の暮らしをわずかながらずつできればいいな、と想う。

とはいえ、自分の父性も暮らしっぷりも相変わらず弱いままですが。




八日目に目にするもの。_b0079965_07434173.jpg

<提示されているのは、出産や育児は結婚に優先するという考えかただ。
結婚は制度にすぎない、生活の安定のための社会的約束でしかない
(まして消費に明け暮れる安逸な日々など、
生きることの表層の泡沫でしかない)。
それに対して、出産と育児は生命の根源に繋がる大事な原理だ。
ヒトがヒトになるずっと前、有性生殖が始まって以来の原理。
それがなかったら、あなたは今この世にはいない。>
(同・池澤夏樹の解説から)











*****************











by 907011 | 2017-03-04 06:14 | Trackback