山中記

冬季レクリエーション。

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ちんまりと暮らしながら、それでいて山中はわりあい冬も集まりが良い、
と皆で一杯やった時などに話題にのぼることが少なくない。

同時に、
一番足の弱ってしまった年寄りが雪のために
行事に出てこられないという課題に当面する冬。

昨日は年度の最後の行事でもある「冬季レク」だった。
冬の集まりはここ数年で様変わりしつつあり、
いろんな複雑な感情や意見が錯綜しながら話し合われた。
自分たちの集落のちんまりとした規模を再認識し直し、
どうにか歩いて集まりやすいという一点の最大公約数をとって
外でやっていたものも「公民館に集まろう。」という結論に至った。
錯綜する複雑な感情のなかにあって、
自分の感情はというと思いのほか保守的だった。

「いかに継承し得るか」という難題に当面してみると、
継承という言葉に対してすでに限界を突破しているという現象を実感する。
限界という意味は曖昧で滅裂かもしれないけど、
現象の実感そのものは暮らしている者、集まって話す者同士で共有できるものだと感じる。

  *

冬季レクは種目自体も少ないので、
レクリエーションそのものが、
「あっ!」という間に終わってしまうことも現象として、皆が共有して実感する。
集まって、最初の”ねらいうち”がいざ始まろうものなら、
ますます、こりゃあ5分で一回りして終わっちまうなあと、
ますます共有は強くなり、方々からそれぞれが「もう一回やろう。」と声を出し、
自分らで集まって自分らでやり進めながら、
でもしかし自分らでもって「いかん。これは終わりの始まりが早過ぎる」と
刑事ドラマの誘拐犯への逆探知電話時間引き伸ばし作戦(今そんなの無いか?)みたいに、
もうちょっと、もうちょっとと時間稼ぎをする様が面白い。

4つのシンプルな種目をめいいっぱい1時間かけて入念に行い、
シンプルさがゆえにそれはそれで均衡した熱戦となり、
毎度のことながら、
最後の種目”集団じゃんけん”(写真上)で勝ち負けそのものは決まる。

1時間やって、その5分後にお燗がつけられビールのプルタブが抜かれ、
そこから倍以上の時間をかけて入念なミーティングが始まる。
冬季レクは買っても負けても特に何もなく、1ミリの変化も起こらないためか、
これはすでに良いんだかどうなんだか、
乾杯した頃にはすでにどっちがどうだったというのは忘れられている様も滑稽だ。

それにしても昨日は驚いたことに、
最後まで公民館のストーブがつくことのないまま暖かく終わった。
ガクはマサコさんからドジョウすくいを継承し、
ザル代わりのお盆の上にそこここからセリーや菓子をもらって貪り食っていた。




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内山節さんの話が冬になるとよく思い出される。
生きている人間だけでも集まると「話し合うこと」は難しいが、
日本の農山村においては、
そこにさらに見えないけど関係する者としての、
自然や死者が物言う参加者として存在しているという。
だからなおさら容易にはいかないのだ、と。

ただ、その見えないし直接の言葉は聞けないけど、
物言う自然やそこに暮らした祖先やその記憶に
どうやって耳を傾けるかという上で、
その土地で行われている祭礼や行事は
それを聞いたり受容する大切な場面、機会なのですよという話だったと思う。

我らと自然との関係のし方はなおも刻々と変わり続けている。
課題ではなくてこれは現象なのだと、当面できるようでありたい。













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by 907011 | 2018-03-19 07:02 | Trackback | Comments(0)
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