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山中記

しおかぜ留学。

14年前か、ワタシは粟島浦村の居候だった。
紆余曲折蛇行しブレまくることに酔い続けながら14年が経ち、
その間またいろいろな人に迷惑をかけては拾って助けてもらいながら四十の声を聴いた。

果たして再会した粟島は、予想以上にほぼ記憶と変わらない島だった。
そして相変わらず俺は軽トラの後ろに乗って島を一周半くらいしながら海を見せてもらった。


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もっとも面倒を見ていただいた弥助の二人も変わらず、
ただ親父のタメさんは漁をやめ、船も網も片づけられたとのことだった。
俺からしたら目の飛び出るような借入れの返済を去年(うろ覚え)だかに完済し、
酒こそやめたものの、漁師っ気と諸所の数字を織り交ぜたしゃべりは
前以上に鋭く、久々に親父のエネルギーに圧倒された。

釜谷集落(粟島は内浦と釜谷の二集落で構成される)の畑の柿もぎにきたお二人も
食と健康トークが軽く10分を過ぎたころから徐々に圧倒され、
手にした軍手をはめたり取ったり、
最終的に1.5メートルほど後ずさっていた、かどうかは定かではない。

でもこれだ、このエネルギーと懐のでかさと言葉の力の持つ強さで、
常に本気で向き合っては「このバカヤローが!」と叱ってもらってきたのだ、と記憶は補完され続けた。
ときどきは息抜きに記憶も美化され改ざんされながらも、だ。

俺は親父のタメさんみたいに強くは話せないから、
だからなのか、時々ごくまれに
爆発的に無性に話すかぶつけるか自嘲するか泣いてるかしていなくてはやりようがわからないほど、
記憶ばかりがあふれ出てくる夜などもいっぱいあった、気がする。



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けっきょく、どれだけ時間が経とうと、境遇が変わろうと、共に来て驚き合う人たちが変わろうとも、
撮りたい写真の状況は一緒だった。
自分が「すごいなあ」と圧倒されては、
すごいなあすごいなあいいなあいいなあと言いながら写真を撮ったり撮らずにカメラを置いたりする。

自分は相変わらずの居候のような気分で10数年おり、
出会う人と目の前のことにいちいち「すごいなあ。すげえなあ」と驚き続けてばかりきた。
もっと何とかしろ、何かことを成せ、とここでも叱咤し続けてくれるありがたい先達もいて、
言われることももっともだなあ、また的を射られたなあと頭をポリポリとかいたりする。

他方で、かなり脆くて言い訳がましいけど、
自分の脳みそ内は驚きという感動に満ち続けている。
驚きながら写真を撮るのだ、たとえば。
目の前のことにも、人のすることにも、
それに自分や我らがやっていることに少しずつではあるけど、
昨日も今日もいちいちたまげて暮らしている。
粟島でもよく眺めていた西原理恵子さんの漫画『ぼくんち』のなかで、
「泣いて腹が膨れるか」と子を叱咤する場面があったが、
感動は少しだけ腹も膨れる。金にはならないけど。

こればっかし、この時間と空間ばかりは、
やっている我らにしかとらえ得ない視点があり、
それを視座というのかもしれないけど、
綺麗ごとばかりではなくてむしろ綺麗なことはないけれども、
だからこそ、連綿と続いてある個人のいまの時間を干渉される余地はないし、
と同時に、人の持つ記憶や時間を干渉でなく自分ももっと尊重しなくては、と感じた。
言葉も写真も後付けでしかない。

等身大の地図が意味を持ちえないように、
いまにはいまを過ごしているそれぞれの記憶や視座があるのだなあと、
わかったような、やっぱりよくわからないままのようなことを想った。

過去と恐々対峙しよう弾丸ツアー(岩船圏に入った瞬間に緊張のせいで強烈な腹痛になるなどする)に
ライ麦パンを焼く手を止めて同行し付き合っていただいた「麦麦」父ちゃんが、
絶妙にうまくリードしたり言語化したりただ傍らで聞いたりしてくれたおかげで、
これもまた他力本願でやっとこさ意味を持ちえたような記憶すり合わせ&歩み寄り旅だった。

豊饒な時間をいただきすぎて、
まだまだ発酵も始まらずに頭のなかはごっちゃになっているような状態なので、
いまある日常の暮らしと織り合わせながら、
思いつくままに何かを書いていたいと思います。

面倒くさいのが愛だろ。










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by 907011 | 2018-10-24 04:26 | Trackback