山中暮らしのエントロピー。
直江津ナイトで、ハツ串をほおばる関原さんの話題が「家事」というテーマになり、タン串に舌鼓を打ちながら俺は「はあ。まあ。うーん。」とジョッキに残ったビールをあおりながら曖昧に唸るのだった。
関原さんの朝の散歩と散文執筆時間の話を主に聞きたいなというところから、早朝に窓を開けて鳥と海の音を聞く、是すなわち脳を使わない方法について派生したその矢先だった。
そこから話題はいちどきに舵がぐぐぐっと思いのほか切られて、洗濯・洗い物・掃除という「純・家事」にシフトされた。俺はビールを、関原さんはレモンサワーをおかわりし、「絶品だなあこれ」と、それぞれ牛筋煮込みをすくいながらおかわりを待った。
「『エントロピー』を下げてやって、自分の活動時間を増やす。 活動の質を高める。 わかるでしょ? エネルギーを昨日よりも増やして挑むためにはな、 片付けものを同時並行でやって、エントロピーを下げる。 そうして、自分の行動につなげるわけです。」
先ほどまで「ムラのおける同化の水準」などといった、日本語、言葉、言語の重要さを話していた。と思いきや、関原氏からは二の矢のように、たとえば田んぼと林(原野)について、ふっと「酸化と還元の話って、あったでしょ」などと理科、物理、化学、地学、もちろん生物や空や海の話は常に無限に散りばめられてそこに練り込み織り込まれていく。

煮込みをつつきながらビールをぐびりと飲んで、トイレに立ちつつも、「エントロピー。」と繰り返して小をしながら、小上がりに戻れば向かいに相対するこの「具体の権化」に、”サザエさんのタラちゃん的スピード感”で家にもみ殻をくっつけながら上がってしまう自分は、さて、具体的に何を聞いて、次からの自分の行動につなげようかな、などと繰り返して夜は更けていた。
とりあえず、起きて薪を燃やしてコーヒーを入れて、そこまでは一昨日の朝までとまったく同じで変わりようもない。
目の前には、足のいっぱい生えた卑猥げな大根があったので、薪の熱で少し干していたら朝陽が射してきたので、縄を探して窓の下に吊るす。
海カフェドナのカオリさんとそういえば米の配達にいったときに、いぶりがっこの話をひとしきりしたのだった。
数年前に実験でつくった、なんちゃっていぶりがっこをまた試作してみるべな。
「まだ間に合うだろうか。」などとふっと余計なことを考える。
関原氏の言うエントロピーを毎朝少し下げることができれば、まだ間に合うことがたくさんあるなあ、とも思う。
上に伸びるそら豆の下に垂れる大根。
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by 907011
| 2020-11-22 07:58
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