異様な気候が続いている、と言われている。
たしかに暑かった。
それに、一カ月半くらいほぼ雨降りだった。
「天気のせい」で、俺は去年も今年も収量が少なかった。
今年は倒伏してみんなが難儀したけど、でも「豊作ではあった」と皆が皆言うのにだ。
ちょっとハングル風語尾になりましたが、
俺の田んぼは一反部(10アール)でおそらく5俵ずつしか取れなかった。
隣で人は7俵とか8俵やら9俵とか言っているので口をつぐむ。
その代わりに、稲刈りは楽だった。籾が少ない分、頭が軽かったらしく、べたーっとした倒伏が極めて少なかった、近年でも稀なくらいに。なので、稲刈り自体は楽しくサクサク刈って、楽しんでる間に終わった気がする。結局、生産組合など自分のじゃない田んぼから稲刈りが始まったので、一カ月はずーっと稲刈りしていたような勘定になりますが。
稲刈り前は「負けたボクサーみたい」(最近この表現はかなりイメージとして的確だなあと確信している)に、おしなべてすべからく無気力燃えカス状態でしたが、稲刈りハイという境地があるのか、稲刈りして(軽トラで脱輪も一回)いたら妙なもので、創造的自己破壊が一つの自己完結を迎えていた。
ずっと待ち望んでいた状態というべきか、悩みもがき苦悩悶絶七転八倒厭世観自己嫌悪他者不信などを佃煮にしたような気分から、「あら。突き抜けた、かも。」とある日山に向かう道中で感受したのでした。
悩むという状態は自己内の病巣のようなものだといった文章を思い出した。具体的に病気の方には気分を害されるのかもわからないが。
中沢新一さんという思想家が、故・吉本隆明さんの思想、思考を評して、「考えて、考え抜いて、突き抜けるところに行くのだと思う」というように書かれていた。
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また全然思ってなかったことを書いてしまった。
米の収量が少ないばっかりに、あ、それだけでは決してなくて、友人知人が買ったり、買い取って代理店みたいにしてくれたり、小分けにしてオーガニック系主婦友とかに贈ったりしてくれた恩恵で、ここ数年、農協に供出してどかーんと混ぜられて「新潟県産コシヒカリ」として買い叩かれることがなくなった。来年は田んぼも増えるので、さすがに供出分も発生するでしょう。
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昨日。やっと、やっと、いまごろ、乾燥機の掃除などをしていたら、山中公民館の前で工事の仕上げを済ませた村田組の組員・カツオさん(親類)が、ニカニカと笑いながら作業小屋にやって来て、中を見渡し、「なおき~、お前は脱税ばっかりして車買ったそうじゃないか~」とニカニカ顔のままダツゼイダツゼイと3回くらい言われた。
超お手頃な軽トラが売りに出ているのを、(しかも、他店の車屋である塩沢区長マサヨシさんが「あれは安いと思う。」とわざわざ教えてくれて)入れ替えたら(初号機はグルグルハウス系デザイナー兼ニンニク栽培王兼釣り吉のフサマエさんにあげた)、ダツゼイ王と言われてしまうワタシは、40半ばにしてどれだけ貧相なオーラを漂わせて続けてきたんだろうか、と少しばかり考えながら、山中の人に貰ったあったかい服を着て、同じく頂きものの酒を飲んでいたら、また風呂に入れずにあっという間に寝落ちしていた。
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山深き松之山は移住者二軒の中立山集落のコグレ”もーぞー”さんと、この「もらった服」問題について、囲炉裏を囲んで話がはずみ、我らは意気投合した。
もーぞー屋さん「しっかしさあ、人からもらった服って全っ然、破れたり切れたりしないんだよなあ」俺「そうなんすよ!もうええっつうくらい着倒して、着潰していかないと、 もう、もらうペースと量に対してこの身体一つではどうにも追いつけないのに。 ”もらった服、無限に増える”問題ですよ、これは。」も「まったくだ。俺なんかも、もらった服のうち、”ちょっとこのセンスはわからん・・・”というやつは、 朝仕事で絶対人に会わないというタイミングで着て、着まくって成仏してもらおうってやるんだけど、 破れない。そして、そういう時に限って人がなぜかやってきて会ってしまう(笑)。」俺「ま~、贅沢な悩みというか移住者あるあるなんですけどね。 それにしても人は着るものを一回もらうと、無限に与え続けますよねえ。」も「そう。 あの”もらった服増えすぎ問題”だけはさ・・・、とりあえず一生着ても着倒せねえよなあ。 なんで自分で買うのはすぐ穴あいたりすんのに。」俺「人からもらった服は頑丈すぎる説。もらった服、最強。」
といって、コグレさんはグルグルハウスイマイさんに着替えを勧めて、「これなんか、おれ走っても何もしてない、何かのマラソン大会のTシャツ。 イマイさん汗かいたから、これに着替えなさい」と、誰も何も内容を知らない謎のマラソン大会Tシャツを手渡していた。
写真:松之山のキョロロキョロロにまたゆきたい。
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<観念的な思考はかならず、いったん人間を病気の状態にしてしまう。 そこでほんものの思想家だけが、徹底的に考え抜くことをとおして、 自分がおちいっている病気の状態から脱出しようとするのである。 そして、悪戦苦闘の末にようやく自分を縛っていた思考のシステムから自由になれたとき、 その人の前にはとてつもなくゆったりとした「普通」の世界が広がっているのが見えてくる。 そういう「普通」にたどりつくことを最後の目標にしていない思想などは、 どれも病気の産物にすぎないもので、たいしたものではない、という考え方である。> (中沢新一 ”遠くに光る灯台~吉本隆明に関しての解説~”)
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