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山中記

籾貯蔵。

おととい。
「昼から雨」という予報に急かされつつ、
前日拒まれたコンバインを応急処置してもらって
さあさあ田んぼへとたぶらかす。かどわかす。終わらす。

山の田んぼの籾は作業場まではやって来て乾燥されて
昨日はくたびれて力尽きてしまい、まだ玄米にはなっていない。

さっそく今日から3日で5つくらい会議のようなものが入っていた。
聞いてるような何事か思案してるような顔でそれはそれで席につく。
頭はなんとも重たい。

重いんだかどうなんだかよりも、断続を繰り返してるばかりなので、面白くない。
記憶が飛んだり薄れたりというのに似て、
自分の気分がわかりにくいことが我ながら面白くないのだと思われる。
理解に困るという状況は、その理解しにくい時間を忍耐するかしないかを問うて迫る。

 *

自分が独りでいるときの顔と
たとえば会合の席に座っているときのそれぞれの顔とが、
仲違いしているような感覚がここ2年以上は続いているかもしれない。

マイペース人間でありつつ人の波長に過敏になる。
利己的なのに偽善的。
・・・等々、自分の脳内に宿っている双極性についてならいくらでも書き連ねられる気がするものの
書き連ねたところでそれが根本的な解決にはならないのでよしておく。

トイレに積み残しになってたまってゆく『農業共済新聞』は
週刊の薄っぺらいものなのに、昨夜手にしたのはいまだ5月田植え時期のものだった。
広告欄でたまに目にする「三菱マヒンドラ」という農機メーカーの字面を目にすると必ず、
「ヒドラ」だったか?、とある怪獣の残像がぼんやりと脳に浮かんでくる。
顔が2つもしくはそれ以上とかの多頭竜の怪獣だ。

あのヒドラの多頭の顔どうしにせよ、双極が近すぎず遠すぎず
それぞれニュートラルな状態で影響しないときにのみ力は作用するのだといま思った。

合わないものとものであれば、どうでもグループ化しなくてよい
それぞれは、それが許されるならそれぞれのままで居た方が良い場合も多い
などと考えてしまう自分はやっぱり、要らぬ気使いをしてしまうようなグループ行動が根っから苦手で、
しかしその現実はいつもどれだけの理想論よりもはっきりとわかりやすい。

ただ助けられるだけの暮らしは、誰彼を”物乞い化”させる。
助け合わねば生きていけない、の「合う」時間が
ごくわずかでもごくごく一瞬でも自覚されれば誰彼は追い詰められない。

人生は演技だ、生きることは演じることなのだ
と言われるけども自分はその役に没頭すること、演技に集中することが苦手で、
途端にそれらを客席側から冷笑しながら眺めていたりするかもしれない。
「恥」に対する自意識が過剰であることが恥ずかしくなって目を逸らす。


多頭どうし、たぶらかしたりかどわかしたり。








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by 907011 | 2021-10-13 08:27 | Trackback | Comments(0)
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