エニシ。
山中の暮らし、13年目の1日目が始まった。
昨日からか?
まあどっちでも大差ないから良しとする。
あたりが藍色に変わる頃に、
家から少し降りて村道のわきの林を眺めるのが日課になっている。
そこであれこれ、思い出す。
12年間が経過していくなかで、
自分が目にする風景、集落の様子もだいぶ様変わりした。
過疎、限界集落、消滅可能性などごちゃごちゃ言われるけど、がしかし
それらを補って余りあるほどに
たくさんの人、現象、問題と解決の糸口、何より暮らしの面白みに出会ってきたと思う。
たとえばこれから石黒の育苗プールお手伝いに行くのに、
塩沢でイサオ兄と合流、同乗する。
この人との出会いは、自分の暮らしがいまも続けられているなかで
ほんとうに大きかったし、いまもなお大きくあり続ける。
自分を知る人ならば、俺のダイレクトな影響の受け方、
すぐに何でも感化されて暮らしていることなどがよく分かってもらえているでしょう。
2年近く俺が体調を少し崩して凹んでいたときに、
スーパー兼業農家のイサオさんが「ワークライス」の助っ人たちを引き連れて、
素知らぬ顔で電気柵作業をカバーして、稲刈りまで手伝ってもらえた。
俺はというと、春先になるまで
それらが当たり前にかつてあったかのような、素知らぬ顔で過ごし、
ときに一緒にビールを飲んだり人ん家の屋根に上がったりしつつ過ごし、
春先になってやっとことの重大性を思い出し、
ナマハゲ瓶ビールと秋田の燻製肉たちで、
その重大さを伏線改修しようとしてみた。
ただ笑ってイサオさんはナマハゲ瓶ビールを喜んでくれて、
はい次という感じで前に前に進んでいく。
またも俺はアニキたちの背中を見て、追うばかりだ。
一年ずつのうちで、俺もちっとは
「なんもなんも、だ」と言いながら手伝い合える関係がしてみたいぞと思う。
石黒人、石黒文化圏とのご縁もそうだ。
イサオさんの石黒愛の数パーセントは
俺にも確実に伝播している。
そこから山中愛を気付かせてもらったり、通い作の方の山中愛もたくさん見て感じてきた。
(時にはケンカし合ったりしてやってますが)
*
石黒の後、市内に移動を開始する予定。
昨日電話をいただいて、精米を済ませて、今日お届けする。
顔を合わせる度に、それほど大げさなことでもなく、
でも、「手渡し」の重要さを自分は毎回気付かされる。
「すべて、ご縁なんよ。そこをしっかり感じておけばええよ」
というオーサカのネーサンの声を思い出す。
*
午後から直江津で会う関原剛師。
15年ほど前にふと目にした新聞に執筆されていたコラムを
その後読み漁って、俺はたぶん長岡暮らしから離れてみることを妄想し始めた。
その動機の半分くらいは関原さんの文章の影響かもしれない。
もう半分は家人の山中愛に感化(洗脳?)された節がある。
「この人に会いたい」と想い、おそらく15年くらいになる。
そして実際に会って話を聞いて、桑取の里創義塾でこってり学び直し、
ついでながら杯も交わしてきた。
飲んでもおおよそ半分はまじめな対話をする我ら。
今日は入念な座学、情報交換と
夕方には直江津をそぞろ歩きながらフィールドワークをして、
セキハラさんからは「17時に焼き鳥屋にいきます」と言われたので弟子として異論なく従う。
我らはおそらく明日死ぬかのようにしゃべり合う。
これもご縁。
雨が上がって、空はこれから晴れる兆しだ。
にしても、文字量の決まっていない文章とは、
なぜにこうもすらすらと長く書けて(書いて)しまうのだろう。
少し文字量を自己規制する練習が要るなと、
高柳農業振興会の『ちょくばらいだより』に載せる文章で、
だいぶ事務局マツバラさんに迷惑をかけながら、思った。
長い、とにかく長過ぎるのだ。
そりゃあ自分にも自分なりの小さな隠れテーマなどもあるのだけど、
一方で、配られる先の人目を意識すればするほど、
つい言い訳がましく長くなってしまう。
仕方ない、それが自分というものだ。
落語の長屋の心持ちで、「あいつはしょーがないね、どうも」
と客観視するしかない。
にして長文の癖を矯正せねば。
とくにこういう雨の朝は外に出られずに長くなる傾向がある。
まあいいや。備忘録として書き殴ってるから、いいや。
ワタシは学習したいようで、結局のところ成長をしていない。
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by 907011
| 2023-04-27 06:04
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