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山中記

写活『オーデュポンの祈り』

伊坂幸太郎さんの頭のなかはいったいどうなっているのだ。


たしかに、現実から目を逸らす最上の方法は、
すべてを逆さまにすることなのかもしれない。
「妻は生きている」と言っている限り、
本人にとっては、それが真実だ。
(伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』新潮文庫)


どうしてだろう。
その時また、祖母の言っていた言葉を思い出した。
「人生ってのはエスカレーターでさ。
 自分はとまっていても、いつのまにか進んでるんだ。
 乗った時から進んでいる。
 到着するところは決まっていてさ、
 勝手にそいつに向かっているんだ。
 だけど、みんな気がつかねえんだ。
 自分のいる場所だけはエスカレーターじゃないって思ってんだよ」


「リアリティ」と言うのならば、
この島に今現在立っているこの感覚こそがそれであり、
その感覚に従うべきではないかと諦めはじめていた。
狂気と受容。
狂うことと受け入れることは似ている。


人間の悪い部分は、動物と異なる部分すべてだ、
と祖母が言ったことがある。
両親が事故で死んだ後、
僕が音楽ばかり聴いていた頃のことだ。
形のないものに癒やされたかったのか、
それとも何も考えたくなかっただけなのか、
その頃の僕は部屋のステレオをいつも鳴らしていた。
音楽なんて聴くのは人間くらいのもんだ、
と祖母は僕を叱るように言った。
「動物はそんなものを聴いたりしないんだ」と。


「『ここには大事なものが、はじめから、消えている。
  だから誰もがからっぽだ』」
「な、何だい、それ」
日比野の台詞は、短歌のできそこないに聞こえた。
「昔からこの島に伝わっている言葉だよ」
昔から伝わる、という表現がそもそも胡散臭かったけど、
予想外に日比野の顔が真面目なので、笑い飛ばすこともできなかった。
「親から子へ伝えられている言葉なんだ。
 この島中の人間が知っている。
 この島には大事なものが欠けているというわけだ」
「この島にないもの?」
「島の人間はみんな気にしている。
 いったい何が足りないのか、
 ああでもない、こうでもないって不毛な想像を繰り返して」
「ずっとかい?」
「ずっとだ。昔の話だけどな。
 最近は、昔からの言い伝えっていう感じさ。
 大体が、この島に最初から存在しないものなら、
 この島の住人が千年考えたって思いつけるわけがねえんだ。
 そう思わないか?」
「すごく曖昧な言い伝えだしね」
教訓や戒めではないし、中身もない。
これも、退屈な島の生活に飽きた誰かが
言い出したことなのかもしれないな、と僕は推察してみる。
「つづきもあるんだ。
 『島の外から来た奴が、欠けているものを置いていく』」
「誰かが、それを運んでくるということ?」
そうだな、と彼はゆっくりとうなずいた。
僕をじっと観察するかのような、慎重な表情をしていた。


そもそも自分のしている腕時計が、
正しく動作しているのかどうかも怪しかった。
針は夜中の二時を指している。
現代人にとっての羅針盤とはもしかしたら時計なのかもしれない。
否が応でも進むエスカレーターに乗りながら、
人はなお時間を気にしている。


まだ会社に勤めていた頃、
行き帰りのバスの中で、よくミステリーを読んだ。
プログラムの設計ガイドを読むよりは、
そちらのほうが気分転換になったからだ。
ああいった話に出てくる探偵たちは、
事件が起きるのを防ぐためではなく、
解き明かすために存在している。
全てを解き明かすのだが、結果的には誰も救わない。
僕の読みかけの小説を、静香が勝手に読んで言ったことがある。
「この名探偵というのは何のためにいるか、知ってる?
 私たちのためよ。
 物語の外にいる私たちを救うためにいるのよ。馬鹿らしい」
興味深い意見だ、と僕も思った。


「日比野は、自分の中に欠如感があるから、
 外部から与えられるものを求めているんだ」
それは、なかなか鋭い分析にも聞こえる。
「親の愛情」という大切なものが欠けている日比野は、
「この島には大切なものがない」と声を出し、
誰かがそれを埋めてくれると信じることで、
自分の穴を埋めようとしているのではないだろうか。


顔を横にして、地面につけてみる。
ひんやりとした。耳に意識を集中した。
空気の音がした。地面の音がした。
しばらくして、心臓の鼓動が感じられた。
身体が弾む。
気のせいかしだいに、鼓動は大きくなるようだ。
肩の力を抜いてみた。目を閉じてみる。
心音が僕を包む。落ち着く音だった。
身体の中では血液が、爆発するように送られているのだろうが、
その鼓動が心地良い。
絶え間なくつづく、血液の循環だ。
はるか昔、僕は誰かの腹の中で、
この音を聞きながらよく眠っていたのだろう。
守られている感覚がある。すっと力が抜ける。
足りないのは羊水だ!
ぼんやりとする頭にそんな声が聞こえる気がした。
産まれてきた人間が、どれほど金を費やし、知識を得ても、
どれほど強大な暴力を振るおうとも手に入れることができず、
それでも追い求めているのは、
自分を抱きかかえてくれる羊水なのかもしれない。
風呂桶一杯分の羊水が人を救うのだ。


僕は、勧善懲悪の物語が好きだ。
天網恢々疎にして洩らさず、という諺だって、好きだ。
なぜなら、現実はそうじゃないからだ。


「俺は、本当の桜になりたいんだ」
僕は、彼の姿をじっと見つめながら、
いくつかのことを同時に、考えた。
彼は人を撃つ。
彼は詩を読んでいる。
彼は喧噪を憎んでいる。
彼は拳銃を持っている。
彼は人を殺している。
彼は島に人殺しを認められている。
彼が本当にやりたいことは、
ナイフのように研ぎ澄ました詩を弾倉に詰め込んで、
誰彼構わずに、それで撃ち殺すことなのかもしれない。
彼は美しい。


「花を育てるのは、詩を読むのに似ている」と彼は、
先ほど僕が言った言葉の真似をした。
「あやうく踏むところだった」僕は肩をすくめる。
「踏んだ奴は、撃つ」と
彼はまんざら冗談でもない顔つきだった。
悪意を持ってこの種を踏む輩がいたら、
桜は本当にそいつを撃ち殺すのかもしれない。
そう思えるほど、彼の表情は真剣だった。
人が生きるのに、それだけの動物が死んでいけばいいのか。
人が生きているために、どれくらいの花が踏まれるのか、
桜はその問いかけのかわりに、人を撃つのかもしれない。


真正面に大きな夕日が見えた。
山の稜線を燃やすかのような、鮮やかな色だった。
こういう見事な夕焼けを見るのは、
いったい何年ぶりだろうか、と思った。
日比野にとってはさほど珍しくもないのか、興味も示していない。
時間が経てば日は沈むし、そこから先が夜だ。
その当たり前のことが、僕たちには新鮮だった。
僕たちの街では、その感覚自体が狂っている。
夜になってもコンビニエンスストアの電気はさっぱり消えず、
煌々と街を照らしている。


犯罪を止めることはできない。
でも、真相は指摘できる。
僕がその探偵本人であったら、こう叫ぶだろう。
「何の茶番なのだ」と。
自分はいったい誰を救うのだろうか、と頭を掻き毟る。
「優午は重荷だったんだな」と小山田は言った。
「どんな事件でも解決する名探偵が、何を考え出すかわかります?」
「何だ?」
「『自分がいるから、事件は起きるのではないか』」
きっとそう思うはずだ。
自分は、別の世界のために動かされているのではないか、
そう勘ぐり出すに決まっている。
「優午も、同じことを考えたのかもしれない。
 『自分がいるから世の中は改善しないのだろうか』
 たぶん、そんなことを考えたのかもしれない」
「どういうことだ」
「優午は未来のことを誰かに喋っても、
 結果が変わらないことを知っていたんだ。
 どの可能性を考えても、世の中は良くならない。
 そのうちに、未来がわかる自分自体が原因じゃないか、
 と疑いたくもなったかもしれない」
「優午がいなくなったって、世の中は改善されない」
「僕もそう思う」
ただ僕には、優午が自殺を選んだ気持ちが、
うっすらと理解できた。
降りたかったのだ。
神様の位置から降りたかったのだ。







「読めばわかるものなのに、どうして解説が必要なんだ?」
たったの数ページで説明できるなら、
最初から何百枚もの物語を語る意味なんてない。
ごもっとも。
そもそも中身を分かる必要があるだろうか。
音楽理論を知らず、
楽譜を読めず、
楽器を演奏できなくても、
音楽を感じることができる。
素敵な演奏を聴くように読めばいい。
そのとき五感は全開となり頭はフル回転で
なんともシュールな物語を楽しむことだろう。
(吉野仁「解説」から)






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by 907011 | 2024-04-03 06:54 | Trackback | Comments(0)
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