感覚を休める。
人に本は勧めやすいけどなぜか人に歌、音楽を勧めることは難しい。その場面においても、その後振り返っても照れが生じてくるからだと思う。自分のなかで音楽は何年、何十年を経ても一人でひそかに聴いて「いいな」と思うのがちょうど好いのかもしれない。
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昨日。山中公民館のバタリを上げて春仕様になった。バタリは屋根だが、同時に降雪時にはばたりと下ろされて屈強な壁になる。おもしろい造作だ。山中のバス停が見通し良くなった。バタリ上げの後にため池に移動してフェンスの取付けもした。セガレにもお手伝いをさせて総勢5人で作業できた。10代1,20代1,30がなくて40代1,50代1,60代1、山中では最若手がそろって仕事できたことが楽しい。終わって一服している頃に蔵人コシバ君も合流して豪華な昼飯を食べにくり出した。集落の仕事をすると終わってからの一杯が楽しい。
セガレはうまい寿司をパクパクと手で食べた後に口に放り込んだタコの唐揚げが噛んでも噛んでも噛み切れないみたいで目を白黒させながら「う~。噛みきれない。なぜだ。噛みきれない」とクチャクチャさせていた。こういう時に的確なアドバイスができないのが自分だ。「よく噛め。噛んでいればどうにかなる」くらいの言葉しか出てこない。噛みきれないタコ問題について根性論とか我慢以外に最適な言葉が出てこないのが自分のこれまでの父性をよく表わしていると思う。
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その前日金曜日は高尾集落でミツタカ先輩と今春からフリーランスになったマサノリさんと3人で苗箱に土を詰める春の仕事始め500枚。終始雑談しながら楽しく身体を始動できた。帰りに栃ヶ原方面から山中への道、先納沢付近をパトロール。案の定、倒木で途中でUターン。来週辺りに道普請前のプレ道普請でミツタカ先輩とこのタイヤショベルの力を借りて道を開通させたいと思う。先納沢で田んぼを守ってくれているイサオさんと、力を持て余しているフリーランスのマサノリさん、不肖ワタシで、先導する手仕事舞台は3人もいれば盤石だ。山中のような集落に「何でも言ってくれ」というフリーな人が一人いるのはとても助かる。
義父さまから電話をもらって、オクサの棚田を見に行くと大きな桐の木がどーんと倒れて道をふさいでいた。これも処理せねば。自然というか山相手の仕事をすると一つが片付いた時には新たに一つの仕事が生まれる妙がある。人間の時間軸では計り知れない世界でまた暮らす。
立山にはサルがわらわらと居た。

昨夕。家周りの木を片づけてついでに枯れ葉、小枝に火を点けてうちの前の地炉で焚き火を囲む。火はいつも不思議でどれだけ見ていても飽きることがない。はじめは考えごとをしていて、そのうち考えることも捨てて、ただ無心のまま火を眺める。
風呂の窓を開けて入浴ができることも贅沢だと思うし、こうして家のすぐ前に石を積んで焚き火を楽しめるというのも小さな農山村で暮らす大きな楽しみでもある。贅沢な時間は緩やかに流れて気付けば数時間、陽は落ちていた。視覚だけでなく、聴覚や嗅覚が鋭敏になる。生木も大量に燃やしてその煙も濃いので風の流れも見たり聞いたり煙に巻かれたりして知ることとなる。目に映るものだけがすべてではないと言われるが、こういう時にこそ、五感が活用されてその意味を感じる。「知る」ことと「わかる」ことには差異がある。
五感を使っているようで、しかし五感を引き出しから出して日干しをしているような、宿っている五感を休めているような気分にもなる。
今日はアメリカから帰国したタカオとライアン夫婦が高柳に遊びに来る。去年に生まれた新しい家族、レインちゃんに会うのが楽しみでもある。
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by 907011
| 2024-04-07 07:21
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