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山中記

『伊丹十三』写活。

自分の嫌いなものを
あれこれ考えるのはとても愉しいことです。
美的感覚とは嫌悪の集積である、
と誰かがいったっけ。
(『伊丹十三』MUJIBOOKS)


あのね、
映画の中によく電話が出てくるだろう。
その、電話の扱い方なんだけどね、
電話のベルが鳴って受話器のクローズ・アップになるっていうのは、
必ず下手な監督だね。
いや、下手じゃなくても、
便宜主義的で、想像力のない監督だね。


われわれの仕事は、
人間をあるがままの姿で捉えることを出発点とする。
自分のイメージにあわないからといって、
イメージからはみ出た分だけ、
他人を鋏(はさみ)で
ジョキジョキ切りとるような仕事はしてはならないのだ。


作家なり俳優なりとして、
世の中で通用するということと、
自分の中で通用するということとはまるで違う。
世の中での通用がいかに追いかけても、
自分の中での通用というものは、
決してそれに追いつかれてはならぬし、
ましてや追い抜かれたりしてはならぬものである。
いわんや、世の中での通用というものが、
自分の中での通用の代わりに住みついている心なんぞは、
初めから論外というべきだろう。


家の外側というのは、
つまり部屋の裏側であるに過ぎない。
だから中にあって工合の悪いものは
全部外にくっつければよいという考え方なのでしょう。









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by 907011 | 2024-05-31 04:24 | Trackback | Comments(0)
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