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山中記

2019年 03月 09日 ( 1 )

歌から生まれた詩。

『ほぼ日の学校長だより』というコンテンツを、
週に一回、何分長文なので、気合を入れて静かな未明に読みふける。

ピーター・マクミランさんという方がいる、そうだ。

翻訳家で詩人でもあるマクミランさんが、
『小倉百人一首』を英詩に訳して創られた著書があり、
その創作も驚きだがさらに、
それがまた日本語版に姿を変えて(文化芸術版・逆輸入?)、
まさに時空を超越した本というものが出されている、と知った。

日本の詩人・作家である小池昌代さんが、
そんな一冊の書評を次のように書かれたのだという。

<著者の英訳を、日本語に、もう一度、訳し戻したとしても
 元の一首は現れない。
 その意味でも、俳句や短歌は、
 ねりあげられた羊羹のような日本語であり、
 それだけで建つ墓なのだ。
 本書の英訳は、歌から生まれたもう一つの詩、響きである。
 だからこその、価値がある。>(『週刊朝日』2009年5月1日号)


ほぼすべて引用の独りメモ書きですが、
歌から生まれた詩、響きという言葉の選択が秀逸だなあと思った。

そして、先般ご逝去されたドナルド・キーンさんのエピソードが続く。


この日本語版にはまた、先日(2月24日)亡くなった
ドナルド・キーンさんの文章が冒頭に置かれています。
マクミランさんの英訳は、
藤原定家の編んだ『小倉百人一首』という
“端正”の一語で片づけられることの多い
「歌集本来の価値と美を蘇らせている」と絶賛しています。

 たとえば、蝉丸の有名な歌――
これやこの行くも帰るも別れつゝ知るも知らぬも逢坂(あふさか)の関

をマクミランさんはこう訳しています。

So this is the place!
The crowds,
coming
going
meeting
parting;
friends
strangers,
known
unknown―
The Osaka Barrier.

<わたしはこの訳を読んで、これこそ、
もっとも成功裏に原作を移しかえた作品であると信じるに至った。
原作の五句を、あえて十一行にまで拡大したマックミランの試みは、
精彩にあふれた英詩をつくりだすのに与(あずか)って力がある。
この訳では、先行する訳者たちが入れなかった一行目の感嘆符に至るまでが、
効果的というだけでなく、正確に用いられている。
さらに“-ing”で終わる言葉を反復することで、
原作のリズムも伝えている。>

キーンさんはこのように評価しています。



『ほぼ日の学校長だより』No.71
 One Hundred Poets, One Poem Each」の響き
より。


学びたいときが、学び時。

この世界の「まっとうな見方」を
教えるのが学校だとすれば、
世界の別の広がりを教えてくれるのが、
芸術だと思います
(石川直樹さん)








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by 907011 | 2019-03-09 06:04 | ほぼ日などから。 | Trackback | Comments(0)