人気ブログランキング |

山中記

2019年 03月 12日 ( 1 )

未完成物語。

2018年の農業を軸にした、
「きっちり一年間」に焦点を絞ったノンフィクション物を創作している。

 *

何度か記してますが、
というかこのブログを作り(?)直した当初がそうだったんですが、
あれははたして事務というのか、
「事業推進員」「事務局」といういかにも怪しい二種類の名刺を持って、
「県の産業労働部の方から来ました~。いやいやどうすか社長儲かってます?
 最近流行りの脱税とかあります?(嘘)」と
某K3省事業のお手伝いをしているときに、
さまざまな出会いがあって、毎日上がり酒まで懸命に頑張り、
そんな中で数字には人間性やいろんな物語があるのだと知った。

なにか体温をずっと忘れず感じているようにと、「和風数学」「数学の国語科」と命名した。
「忘れる天才」と呼ばれた不肖ワタシが、自分自身に命じた。
数学というほど、大した問題でもないのかもしれないけど。

想えば、算数の問題だって
「〇〇さんと〇〇さんがりんご2つとみかん2つを買いました。」とか、
「このケーキを3人組と7人組で分け合いたいんだけど」どうのこうのとか、
いろんな国語の要素が絡んでいたので、
自分にはわりとすとんと腑に落ちた。

そのほか、コンソーシアムとかエビデンスとかグリップしろとか、
その後たぶん関わることがないだろうなと思った横文字もいっぱい出会いました。

 *

そもそも。
粟島の後に、
しただ」のキタザワセンセイにすくってもらい、
しばらく山でかくまってもらって(米の集荷仕事をして寮に居候させてもらって)いた。
下田村でいただいた時間、静養し放置してもらえた時間を経て、
街に出稼ぎ気分で降りて出てくることができた。

旅立つ前々夜だったか。
八木鼻の食堂(奇しくも人気メニューの名が「山塩ラーメン」)で一杯ごちそうになり、
最後にせめてもの気持ちだけでもとお金の入った茶封筒をお渡ししようと決めていたのだが、
センセイは見えないふりのような聞こえないふりのような
いかにもセンセイらしい受け流し方で、他の話をはじめ、
はんなりとわたしの封筒は逸らされた。
そして
「ビンボーとか”金欠”って事態はですね、
 若いときにできるだけ経験した方がいいですよ」
と、センセイは明るく笑ってた。
そして、医学部だったか若き研修医だったか時代に
突然両親がアパートに夜逃げしてきた笑い話などをしてくれた。

後の長岡サラリーマン時代に再会させていただき、
センセイのご自宅で酒を酌み交わさせてもらった。
自分が救われた命の一つでもあるから、
「この人はニンゲンの命を救っている人だ」と今なお尊敬している。
(再会の瞬間は、「スーツ。似合いませんね~!」と笑われましたが。)

 *

当時長岡に住んでいた人文学部の学友・トモエさん家に世話になったりなどして、
信濃川と長岡駅にも近い超安アパートを見つけた。36000円、安。
(駅まで徒歩10数分。駐車場、ユニットバス付、台所大きく角部屋。窓4つ。
 ベランダの他に、
 長岡花火も眺められる屋上に俺は毎朝居座って朝日を拝みつつ日経新聞を読んでいた。)
その部屋と屋上を主な住み家(帰らぬ夜もいっぱいあった気がする。
飲み過ぎて鍵等をなくして帰れなかった夜もあった。よく生きてたなあ。)として、
仕事探しをして眺めていたら、
一つの街には半径数キロメートルにじつにいろんな仕事があるもので
一無職の20代後半男にとっては求人を探すのもまた面白いものだった。

 *

一回やろうと思ったパターンは、
我ながら「あれやってれば、まず人生変わってたろうな」といまだに思い出す組み合わせで、
夜は個人居酒屋のお手伝い、
そして日中の半日程度はお寺の雑務のお手伝い、という掛け合いだった。

相談員の職安恩人・クボさんに「ゆくゆくは農業に戻りたいので」という話は
最初から伝えておって、その上で出稼ぎライフを謳歌しよう、
いったん社会人の勘を取り戻すべく異業種をしてみようと思うと
なんだ我が身の軽さと面白さがじわじわと感じられた。

いったん”坊主頭で境内を掃くワタシ”もイメトレして(その後結局、自発的に坊主頭に至る)
とある日、相談に行く手前の新規求人票を眺めていたら、
クボさんがふらりと来て、
「これ。すぐ近くだし、お前さんのキャリア相応でとりあえず話聞いてみる?」
と言われ、
その1時間後にテーブルでオッチャン(後のボスと数分後に知る)と何を話したか忘れたけど、
数分後、「とりあえず今時間あるなら今日から一週間インターンしろ」となっていた。

 *

基本的に出された飯は食べるし、
「まあ、呑め」と言われたら、ためらわずに飲む。
食堂で注文と違うものが出てきても、それはそれで気が向いたら遠慮なく本気で食べ始める
(途中で店員さんが気付いて謝りに来、食べかけを下げられ、
 「あ、食べてごめんなさい。」と謝ったこともある)。

翌朝、友人知人への生存証明として、
「”ミイラ取りがミイラになる”とは聞く例えだけど、
 ミイラ取りに取られるべくミイラになろうと仕事を決めに行ったら、
 そのミイラ取り側の仕事に就くことになっていた。
 ミイラとはなんぞや。」
というよくわからない報告メールを送った。

その後もよくわからないいろんなメールの往還や考え事の種が増えてゆき、
書くということをライフワークにしないと「酒の一択」になってしまうと思い、
やめていたブログを立ち上げて、名前を変えながら今のこの雑記に至る。

 *

現在のアオーレ長岡の隣に(まだ)あるビルでインターンから始まり、
「事務職」を主とする方向で話は聞いておったが、
なぜか新潟市などの出張に同行したり、お使いを頼まれたり、
しばらく経って、「はっ」と気付くと、
長岡駅前ビル(夜は駅前留学)の机のほかに、
朱鷺メッセのNICOとかが入っていた県オフィスフロア
(13だか14階だったか。
 眺めとトイレ、めっちゃサイコー。夜は万代や駅前留学)に通うようになり、
その後、白山の市役所近く(夜は古町や新潟駅前に留学)に机がもうけられ、
ぼっろいアパートから二日酔いで風呂も入らず新幹線に飛び乗ったり、
長岡~新潟どっちも大事な職場になるという、
今考えてもよくわからぬ雑務の人に結局なっていたので、
案外、境内を掃除していても同じようなところにたどり着いていたのかもわからない。

「事務局」という言葉は、魔法の言葉だ。
人殺し以外の合法的なことはたいてい降りかかってくる。
板挟みになる。休日も職場に遊びに出るようになる(夕方はビール持参で)。
酔っぱらってデスクに戻ろうとして、セコムの仕組みがわかってなくて、
翌日かなり派手に怒られる、などしながら、
「和風数学」をチーム事務とその周りの皆に学んでいったのでした。

 *

で、自分なりの和風数学に基づいて(?)、
いま、一つの村構想をたまにぼんやりと抱きつつ、
結局、春夏秋に大量の書類をストックしておいて、冬にやっている渦中。
いかんせん、どうしても自分(一応肩書は「農家」なんです、実は)の事務処理は最後になる。

冒頭に書いた30年の一年間の和風数学的農業の物語、
・・・というか、
確定申告の最後のバランスシートの「元入金」が合わず、
経費と売上げはOKなのに、
事業主借と貸の金額が狂っていて、
65万円の青色控除ピンチ!、という、提出期限3日前の朝でした。

 *

あの「屋上」で今日の考え事のほとんどが生まれたといえます。
引っ越しても上がったものなあ、あの『ヴィラ信濃』の屋上。

今朝薪を燃やしてから読んだ唐桑のカズヨさんの話が面白深く(思い付き造語)、
思いのほか触発されてしまった。

「与えられた運命を愛せよ。」

今日は税務を処理解決する日。
場合によっては”ムショ”に出頭(=相談)もやぶさかではない構え。
あともう少しで完成するはずの65万円控除のための和風数学的農業ノンフィクション物語。











**********************


by 907011 | 2019-03-12 06:48 | Trackback | Comments(0)