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山中記

2019年 03月 13日 ( 1 )

ちょっとムショまで。

中学~高校時代、
数学の点数だけが(私的に)いつも一番よい子という珍しい型の文系野郎でした。

そして、これまた中学・高校を通して一貫して、
反対に好きであったはずの国語の成績が理科社会よりも圧倒的にいちばん悪い、
なのに公立文系クラスにすまし顔で進むという困ったちゃんな受験生でした。

中学3年の時の担任タカハシマサコ先生が
申し訳ないことに国語の担当であってしまったばかりに、
学力試験明けの休み時間に、放課後に、
二人でずっと首を傾げ合いながら高校受験の日に至ったのをいまだに思い出します。
(マサコ先生はタカマサ、もしくはときにタカバンと呼ばれた。
 バンバ=おばちゃん的な方言で。恐縮です。)

国語は、とにかく自分の解釈がなぜ間違えているのか、
先生と一生徒として対峙して、回答の解説をいくら聞いても、
その後話し合ってみても、「正解」が出せずに外れるという状況が丸6年続きました。
自分の考え方、文章の読み下し方と正解とのずれが結局ずっとわからないまま、
たくさん親身になってくれた先生とせっかくずーっと話し合ってもらったのに、
もう致命的に俺は仕様のない酔っ払いみたいに間違い悶え続けるのでした。

俺は物心ついてからたぶん、ずっと記憶にあるんですが、
国語の時間だけは、眉間にしわを寄せて、
多彩な担任の先生がたのどの解説もとうとう腑に落ちずに、
国語の時間だけ、じーっと睨むような眼で言葉を聞き続けて手探りして、
やっぱり一度も答えに出会えなかったのを思い出します。

対照的に、数学については、その点やること、論理がはっきり簡潔明確だったので、
ほぼ100%、腑に落ちるのでした。

 *

そして、3年後の高校生時は、
一転して理系の生物学(心身、遺伝子、生き物、すべてが意味深かった)担当であった
タカハシヒトシ担任が公立文系コースを持つという、
いま思うと不思議なねじれの構図で、
ときに現代文古文英語担当の先生がたも巻き込んで、
やはり、「直樹は国語がなあ・・・」と職員室で首を傾げ合った。

タカハシヒトシ先生のヒトシは「均」なので、
同校のOBであるウチの兄・ヤスノリ時代から”タカキン”と呼ばれていた。

とにかくワタシは母国の国語がさっぱり進展なく致命的にダメだったのだ。

生物の担当であり、兼受験目前で切羽詰まった担任タカキンは切なかったろうに、
「よし、直樹(秋田の言葉なので「お」がイントネーションが強い)、わがった。
 あど、そんたに時間ねーがら、生物、切るべ。
 俺の生物の時間(じがん)は理科室だがら、
 おめは空いだ教室で自習して英数国を頑張ればいーねがしゃ
(横手言葉は何かと語尾にしゃーしゃー言う)。
 センター試験の生物は一応受げるべども、捨てれ。
 とにかぐ、こぐご(国語)を伸ばへ。
 せば、新潟なば行げるべしゃ。」

タカキンの後押しを受けて、俺なりにやるだけやりつつ、
息抜きにてきとーにあそんだ孤独な青春数か月。

(俺は下宿と山部の酒呑み青春議論が絶えなかったものの)
我らの主戦場はみんな図書館の静かな森の中のあの出窓スペースで、
下宿に帰ると毎日のように遊びが待っていたから、日暮れまでやったなあ。

高3のときに俺が実感したのは、
これだけしんどいなら、
東北大はもちろん北大、筑波あたりとか東大京大とか、
我慢の量がそりゃあ全然違うわ、ということだった。

偉くなれよ、賢いんだからてっぺんまで行ってくださいと友達に思ったものなあ。
そして、自分で頭を下げて「ここに入れて下さい」って言うんだから、
だったら、
いっぱい日本を柔らかい脳みそがおもしろくしていってくれと思った。

大学のレベルは、自分にとって、我慢の量の違いだと思うなあって、
友達とふと放課後の物理室などで話した。
そして、一応一発で受かって新潟にゆくかどうか・・・は、
自分にも浪人の選択肢もあるといえばあったけど、
自分の脳のキャパからしてもう1年我慢するのは堪えられなかったのでとれなかった。

 *

そういえば、
新潟まで一緒に電車乗って受験した同級生(1年生だかに山部入って一回登ってすぐ辞めた)の一人、
当時の市長、後の知事さまのご子息・テラタマナブセンセイが国会議員して、
民主党だから一時蓮舫の後ろに居たけど、まだ居ます? ・・・政治家て。
まあバックにいろんな大人が居過ぎて大きな力が働いていたんだろうけどなあ。

合格発表の朝に実家で緑茶をすすっていたら、わざわざ見に行ったテラタから、
「なおきー、おめ、受がってらどー。
 俺落ちだどもなあ、だっはっはー。へばな~。」と電話が来たんだった。
(よくテラタが政治家できるなあとちょっと検索したら、
 案の定いろんな言動でめっちゃ叩かれて見る気もわかない状態だった。)

俺が居た下宿に羽後から入っていた2つ年上の超美男子・オーヒナタ先輩
(奇遇にも大学の恩人先輩も男前な安塚人・大日向さんだったがそれはまた別のお話)が
やっていたバンドのライブテープを、オーヒナタさんが卒業した後も、
悪い先輩後輩たちが居るもので、皆で2階に集まって麦のヤツを飲みながら夜な夜な聞いては、
「ファッキンシティ」というオリジナル曲で、
「ファッキン!テラタスケシロー!!」と一緒に叫んで笑い転げていた。
楽しかったんだろうな。
そして、12時過ぎに下宿の親父がキレてドアを蹴り開けて怒られていた、ような気がする。

オーヒナタ先輩には弟が居て、
オーヒナタヨウ君もバンドしてやんちゃなこれまた美男後輩で、
受験ぎりぎりまで毎晩のように部屋
(男寮の悩める寮長をしていた一階のボクの部屋のドアには
 『起こすな。来るな。
  受験生が勉強をしています。寮長』と張り紙していたのにだ)に
「なおきさーん、ひゃっひゃっひゃっひゃー。今さら何勉強してるの?」
と高笑いしながら乱入され、布団に座り語りはじめたりしていたけども、
先輩には世話になったからまったくかわいいものだった。
楽しかったんだろうな。

 *

じつはその・・・センター試験、終わってみたら、
担任と捨て合ってノーガード戦法だった生物(80点くらい×2でカウント)が、
勉強したはずの国語(うろ覚えですが200点分の130点にも満たず)に
圧勝してしまい・・・、
国語は不採択(ワタシの6年間の悩みはずっと同じ。国語ができない)で
英語&数学&生物で新潟大にエントリーする・・・という、
そんな阪神淡路大震災の朝(秋田大学でセンター試験終えて「採点日」だった翌朝)でした。

いろんなおとなに10代からずーっと迷惑をかけつつ、新潟に居るワタシの妙。

K3省お手伝い事業のときに、
採用担当が「コミュニケーション能力だけあれば。」という言葉に、
我ながら意外に深堀りしたというか、
「じゃあ、その唯一のコミュニケーション能力というのを
 御社の言葉(いま思うと「ザ・国語」ですわね)でもう少し言うと、何なんですか?」
と問い続けたのも、点数がとれなかった自分のエゴと醒ましだったと内省する。

 *

そして、いまとなっては、脳みそがコルク状になってしまったのか、
おがくずか何かしか入ってないんだか、
確定申告がやはり数字が合わずに、腑に落ちぬバランスシートができあがってしまい、
ムショに相談にいってきます。税務署ゆき決定。

いつか大金持ちになったら(死ぬまでないですが)、
国税のエリートとダツゼイバトルして論破できるような、
和風算数野郎になって、「山中のゴーン」と呼称されるようになりたい。
・・・いや、なりたくもない。
最近とみに思うのですが、ただ耕しているだけの人でありたい。
そこにたどり着きたい。いまを超えて。突き抜けて。

でも、念のためワタシに帽子とか作業着をゆずられる方は、
どこぞの社名とかが入ってないか、気を付けてください。
無頓着にいただいた衣服でウロウロしているので、
何か間違いをして、いざコトが起こった時に
思いっきり来てる服に「植木組」とか入っていたら迷惑かかるだろうなーと妄想。

などと思いつつ、
雪まつりで(腑に落ちないけど)家人がもらった、
ブルボンの水球応援バスタオルで風呂上がりの身体を拭いて暮らしてます。

 *

自分のコミュニケーションの仕方は、
だから正解じゃない、あの頃と進歩してない、
悶えをずーっと抱えている。
腑に落ちたかったのに、ときに、人とヒトとは得てして腑に落ちないものなのだ。
「ときに」の部分にはいま少しの希望があるとも想います。

『アイデン&ティティ』でいちばん染みたのは、
<不幸なことに、不幸なことがなかったんだ>という表現だった。












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by 907011 | 2019-03-13 07:12 | Trackback | Comments(0)