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山中記

<   2019年 01月 ( 19 )   > この月の画像一覧

二枚目の男。

昨日記した雪庇崩れ道路塞がり具合を
県の振興局に改修要望の再びの陳情に行こうかと企んでいたけど、
子を送った後、晴れ間が射したので、
共同車庫の屋根を掘る。

ほんとうは2月3日8時から車庫所有の皆でいっせいにざくざくやる決めになっていたけど、
来週に提出期限の迫る仕事を抱えつつ、
出なきゃならん会議が3つは入っていたので、
えいっと上がった。

はしごを引っ張り出して、気付いたら、
先輩・イサオさまは前日にさくさくっと2枚終わらせていた。

俺も10時に来客対応を終えて、
昼過ぎまでかかってなるべく(ダンプの底を削りながら)というか
あわよくば3日に出なくても良いように、
薄っぺらくまで掘って、車庫の後ろに運んだ。

一番左の一枚は毎冬越冬中の年寄り分の受託なので、
いくら小遣いもらおうかなとここでも煩悩にまみれながら汗を流す。

単純な動作を繰り返し繰り返し連続して、
振り返ると、その跡はけっこう綺麗なのだと、雪には毎冬教えられる。




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朝は公民館とゴミ捨て場の除雪へ。
山中は7:30と11:00しかバスの便がなくなってしまい、
それまでに公民館バタリ内のバス待ち所にいけるように、
子が起きる前に終わらす。
冬は春夏秋と違う、わりとストイックな時間に追われがち。










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by 907011 | 2019-01-29 06:01 | Trackback | Comments(0)

孤高。

昨日。
10時過ぎに「雪崩で道がふさがっているよー」という電話をもらった。

永らく、
先代の(その前の)区長からの降雪期の懸念だった箇所で、
12月頃に、小学生が書いたかのような、
小生手書きの「あの崖は気をつけましょー」みたいな配り物をつくって配ったのだけど、
連絡をくれた”とくぜん”さんのカズミさんも巻き込まれることなく無事で何より。

現場確認にいって写真を撮り、
日中の除雪担当の司令塔である「みゆき除雪倶楽部」のナカジマさんに報告。
俺の携帯電話帳には、「中島さんみゆき除雪倶楽部」と登録してあり、
画面のサイズ上、「中島さんみゆき」と表示されるので、
いつもどうしても中島みゆきに電話するかのような気分になる。
(着信も当然「中島さんみゆき」からかかってくるので、同じことを想う)




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山中は国道252号線からけっこう上る。
「この道いっても集落なんかないだろ」
と初めて見たときは衝撃的だった。

今回の箇所は、集落内を一周する除雪道の一か所なので、
その後昼から除雪に入ってもらって、
今日残りの雪庇落としもしてもらう予定で、
無事に国道ともつながってます。

仮にこれが集落に上がってすぐの取付道路でふさがれると、
(去年は車一台分雪崩って、かろうじて一台分通行できて事なきを得た)
我ら冬季の山中は、復旧までの間だけ集落ごと断絶される。
どのみち行政に頼って治してもらう一方なので大げさな言い方かもしれないけど。

柏崎市長が「財政健全化」のための、
削減すべき”コスト”として眼鏡をぴかっと光らせつつ絞られていくのだなというのは、
高柳やこうした山の中の集落も含め、あらゆる方面でひしひしと伝わっている。

会社であっても、対人的な感情とかであっても、
個人やチームや、体温を持った人の暮らしや存在を、
「コスト」と見られたら、もうその人や暮らしは数字であり、コストでしか在りえなくなる。

 *
 
我らのような端っこの山の上にあるような集落はいわば末端の「手足」の指の先みたいなもの。
時代小説で目にした表現でいえば、
山の上に行って状況を偵察に行く「斥候」というやつかもしれない。

火に触れば、熱い。
氷に触れば、ひゃっこい。

冷たいのも熱いも、痛点も、
最先端をゆく高齢化も離農も、持続可能な暮らしや移住の難しさetc.も、
末端の指先や見るもの聞くものが先ず触覚となる。
脳が思案する喜怒哀楽はその後にある。

孤立か、孤高か、それが問題だ。

昨日、ついに雪崩たぜ、陳情できるぜと煩悩まみれの証拠写真を撮りながら、
遮断された道を眺めて、「片道切符の恋なんだな。」とつぶやいてみたりした。

おもしろさも、
斥候がリスクと背中合わせに、先に感じられる特権かもしれない。

柔軟な物腰でありたい。
のらりくらりと、一冬超えましょう。











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by 907011 | 2019-01-28 05:45 | Trackback | Comments(0)

高柳のスキー場、オープン。

こども自然王国の「高柳ガルルのスキー場」がオープンしたそうです。

山中ではすぐに雪が積もっても、スキー場のあたりは少なめで、
うちの真上の”ごすけ”のハルキさんも家の雪掘りをしながら、
「積もらない…オープンしない…」と連日やきもきしてました。

是非。

 *

もう8年近く昔の話ですが、
俺が山中に移住(4月26日だったはず)して、
すぐ家人のところに連絡が来て、はじめてのバイトが
自然王国の5月連休イベントのお手伝い(テント立てなどから)でした。

ラーメンのスープの鶏ガラを煮込んだりしながら、
王国の館長・カズナリさんとテント内で数日間いろんな話を交わし、
常に前を向いた発想力に魅了され、
後にも、場所を変えて一緒に仕事をさせてもらったりしました。



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「イトー君。
 結婚とは、我慢と忍耐ですよ。」
(『中村和成の為人』(未刊)「ラーメン屋台出会い編」より)











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by 907011 | 2019-01-27 05:12 | Trackback | Comments(0)

月光。

雪と書類が積もりながら、ひたすらに冬の暮らし時間が過ぎていく。

4時に目覚めたら、
月明かりが幻想的に明るかった。

雪は大変難儀なものの、
未明には月の照らす光を白く拡げるふんわりした力と、
これも暗い時間帯に感じることだけど、
ことのほか、音を吸収してくれることを、
同時にやってのけるのが、
この時期の瞬間瞬間にたまーに感じる雪の「偉いところ」と思う。

雪が積もることで、闇夜にほんのり、静かに
感覚する色の陰影と音の機微を与えてくれる。
目は視ることと見えないことを、
耳は聴くことと聞こえないことが織り交ざることの悦びを束の間堪能し、
口は冷えた空気を吸って、何かぶつぶつつぶやいたりする。

闇夜に外に薄着で出てみて冷えるから、長居はできないけど、
たとえば、自分の長靴が雪をきゅっと踏む音しかない瞬間などのことを、
自分でも妙な表現とは迷いつつ、「スマートだ」とさえも感じるのだ。

誰彼が携帯電話を指でしゅっしゅっしゅとやるスマートさを凝視している先と、
未明に一人、「降ったなあ。」などとつぶやきながら、
雪との折り合いの難しさと同時に、
「感覚すること」が、
自然と己が接点を持てることが、
まったく異質なものだけど、
こういう「スマート」もあるかもなあと、
いまだにガラケーのワタシは、まったく妙に感じたりもする。

闇の中のほんのりと、静かな時間が自分は好きだからなのだと思う。

 *

今朝は雪が積もってないと思っていたけども、
除雪車のバックする音が遠くから聞こえてきた。

今日、ニイチロウさんの四十九日だ。










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by 907011 | 2019-01-25 05:15 | Trackback | Comments(0)

美味し雪郷・山中。

4時過ぎ、除雪の音で目覚める。

いよいよ冬本番という模様になってきて、
今朝の難儀を軽減すべく、
昨夕、薪小屋からダンプを出して家周りを運んだ。
湿り雪が続いたので、重い。

そして保育園で存分に雪と戯れてきたはずなのに、
帰宅後も子は家に入らずに雪と遊ぶ。
俺の動線上に絶妙なポジショニングをとる子を回避しながら、
こっちはこっちで雪と戯れる。


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それにしても、よく食む。
なぜそれで腹壊さないんだろうと不思議に眺める。


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もうスコップとかバケツとか道具はどうでもいいらしい。
口一つでやっていけるらしい。


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3歳くらいまでに子どもの味覚は形成されるらしいが、
うちの子はいろいろ遅いので、たぶん雪が口に合うのだと思われる。
今度、練乳でも買っておこう。

そういえば、自分も小学校2年生くらいだかの頃に
何かの本で見つけて、卵と牛乳?と親に買ってもらったバニラエッセンスを
鍋に入れて、隣の田んぼの雪に放置して、アイスを自作したのを思い出した。
(秋田は気温がとにかく低い)

食い散らかして、雪を減らしていただきたい。
雪うまし郷・やまんか。











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by 907011 | 2019-01-22 06:21 | Trackback | Comments(0)

メセナ。

昨日1月20日。
大寒。
お昼から、立川一門の落語会にいってきた。

「13時半開場」とチラシにあって、
順調にちょうどその頃合いに着いたので、
”真ん中の真ん中あたりに座ろうかな”などと思惑を抱きつつ、
入ってみたら、恐ろしや年寄り。

すでに椅子は満席で、
主催スタッフ(東京電力)もたぶん安保闘争ばりに開場を強制された模様で、
定刻に行った自分は補助席を案内された。
高齢者ばかりで頭の位置も低いおかげで、
ちょうど斜めからまっすぐに高座が見えて幸いでしたが。

談志さんが亡くなって以降、
立川一門がどういう様に棲み分けられたのかわからないですが、
この日は立川志の輔のお弟子さんというので、
二つ目が二人と真打が一人だった。

真打・志の八さんの枕によれば、
じつは東電のオファーは当初志の輔師匠にあったが、
予算含め諸所の都合でお弟子さん三人会に企画変更され、
それでもスケジュール調整に一年がかりでやっと昨日の運びとなったらしい。

たしかに、会場を調べるのに(柏崎の地理がいまだにほぼ分からない)、
「立川 柏崎 落語会」などと検索してみたら、
一門の会が津々浦々転々とひっきりなしに飛び回られている様子だった。

 *

余談ですが大学の友人で富山愛の男・ノザキ君に、
1年生の時に叩き込まれた富山有名人シリーズによれば、
志の輔さんも富山。その他、西村雅彦さん、室井滋さんなどいっぱいノザキに聞かされた。
(「ウィスパーのCMに出ている人、という絶対わかりようのない人まで説明され、
 富山愛の強すぎるノザキは、常に飲み会でもいじられる愛されキャラだった。
 愛の強い男ってのは、人から愛されるのか。)

そんなエピソードを記してしまったのに、
年賀状もらっといて返してなく(昨春祖母を亡くしたのもあるけど)てスミマセン、ノザキ

 *

初っ端をつとめた二つ目の方は、
出身は忘れたが、小学から大学までサッカー一筋だったのに、
志の輔さんの落語に聴き惚れて、
名古屋公演にヒッチハイクで駆け込んで弟子入り志願したのだという。
3者3様、きりっとしていて立派でした。

その他、立て続けに行われる無料コンサートや三味線や
映画上映会や各種講座などのチラシを配られましたが、
めっちゃメセナ活動の金あるやん、東電と複雑な心境になり、
アンケートに、遠方の当地ですが無料で使える場がいくつもあるので、
どうか高柳などでも企画してくださいと書いて、
帰りにいわしと油揚げとしじみといいちこを買って帰った。

俺はしかしながら、雪掘りと道踏みと夏の田の草取りの時に、
志ん朝さんだの談志さんだの柳家小三治さんだの、
名人の落語を繰り返し聞き過ぎ(?)ているのだな、
と、これも複雑な心境の帰り道だった。

ちなみに志の輔さんが富山をモチーフにした創作落語で、
先用後利」という噺もかなりおもしろいです。


 *


われら山中の暮らしも「長屋」みたいなもんなんだと、ときどきに想う。
熊公も八つぁんも与太郎も、良くも悪くも皆がそんなで
(俺を筆頭に)とんちんかんなことをし合いながら、
いろんな感情や難儀は絶えないけど、
笑いへの昇華も含めて、長屋みたいに暮らしていると落語を聞くたんびに感じるのだ。

先日、ある脚本作家のドキュメンタリーで、
人を笑わせるのと、人を泣かせるのはどっちが難しいですかという質問に、
「いや、同じでしょ。感情の高ぶりが笑いでもあり、涙でもあるから。」
と答えていたけど、
俺は前者の方が難しいのだと考えて生きてきたし、今だにそう思う。

談志さんがおっしゃられていた、
「落語とは業の肯定である」。

根暗な自分もなるべくつとめて、
「まったく、しょーがないね、どーも」って笑いに昇華させながら、
この長屋のような小さな村の暮らしをして、
まずは一冬乗り越えよう。








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by 907011 | 2019-01-21 05:33 | Trackback | Comments(0)

ブラックボックス。

・燕三条駅前に研修で一泊してきました。

私的には山中での集落営農と個人農家としての今後を考えるための
研修(市農政課の後押しもあって)でのぞんだつもりでしたが、
午後の部から、プロの農業法人のための決算書と会計の読み方、
各項目と数字の流れを読み解いて、「言語化」する講義に突入した。

これが予想(あらかじめ懸念して主催のJA担い手サポセンに相談などした)以上に、
法人経営にまったく触れたこともない自分にはハードルが高いものだった。

初めて見る世界知る世界聞く言葉が続いて、脳みそがやられそうになりましたが、
一時間ごとに休憩を挟んでもらったり、
具体例の設問を考えて隣の農家のおじさん
(阿賀から来た推定62歳・20人くらいの農家で集落営農しているが若手はいないとのこと)と
設問について少しディスカッションがあったりしたおかげで、
なんとか、
おそらく会場内で自分だけシャツ一枚になっておでこから汗を噴き出しながら、
終日なんとか喰らいついてきたことは、
自分の中で、少しの自信と新たな宿題の種まき、
そして、その後の一人三条ナイト飲み歩き(詳細は後日)の満喫につながった。

・あともう数日内におそらく8割がた忘れてしまうと思われますが、
損益計算書(フロー)をつくってからの賃借対照表(ストック)および、
剰余金処分の選択案や、そこから再びフローとストックを見比べて、
法人経営の今後の展開パターン(破綻も含む)を言語化するというような話を
後半3時間半くらいやって、
まったくもってギリギリまで久しぶりに細胞や脳みそから汗を出した感覚でした。
昼飯がまともに選べなかったくらい、自分の脳みそは小っちゃかった。

フローとストックは、
自分みたいな素人個人事業主の青色申告書にもあるものの、
法人経営のそれは様式がより緻密かつ、
多くは担当税理士が処理するものでしたが、
その数字を言語に変えるための読み砕き方の話は、
法人経営もしてないし、半分もわかってないような自分にも、
見えないものが可視化され、言語化される、文字通り「面白い」ものだった。

高校生のときくらいから思っていた「和風数学」、
おとなになって農業してみたら、在った。

そして、狭めの会議室でぎゅうぎゅうに県内あちこちから来られて居った、
60~70歳くらいの農家のおじさんたち(主に法人同士で2,3人連れ)が、
決算書の読み方を、徐々に時折うなずき始めたり、
「恥ずかしながらなのですが」なんて言いながら質問し続けたり、
前列では隣の仲間と
「これじゃあ、俺たちは全然間違ってたなあ、損だな。」と談笑したり、
そんな姿を見て、「すげーな。やってきた農家のおやじどもだ。」と感心したのでした。


 *


脳はブラックボックスにできるのだ。
と、山中に移住する前の長岡時代にもしばらく畑で考えていた。


「私は脳である」って考えてみてください。
すると、脳は頭蓋骨の中に閉じ込められていて、
いわば幽閉された、孤立した存在だっていうことに気づきませんか。
そこは、真っ暗闇なんですよね。
牢屋に入ってるみたいで、なんにも見えなくて、
外界から完全に隔離されてるひとりぼっちの世界なんです。
だから、脳それ自体では、外の世界のことはわからない。
(『脳の気持ちになって考えてみてください。』から)




上記コラムよりももう少し若い時分に初めて「ブラックボックス」を知ったのは
何かのイラストか番組で、
ある数字やアルファベットの紙を箱(装置だったのか、あれは)に上から入れると、
下の同じような口から全然違う数字が書かれた紙が出てくる。
それで初めて「ブラックボックス」という言葉を知った。
その箱はある規則性を参加者に考えさせるための実験だったか、
あるいは完全にランダムなブラックボックスという箱ですよ、
という設定だったかは、覚えていない。
でも、妙におもしろい箱っちゅうもんがあるんだなあと印象深かった。

その後、自分が漂流したり小さな挫折(当面した本人は生死くらいに思ったけど)をして、
のらりくらりヘラヘラと紆余曲折するなかにおいて、
よくビールを飲みながらブラックボックスの話をしていた気がする。

何度も拙文に記したりもした理想論だけど、
「人の苛々の伝播を、ブラックボックスを通してユーモアに変えられたら」とか、
「自分の脳みそがもっとブラックボックスになればいいのに」と想ってきた。

・冬は事務仕事がたんまりあるので、やらねばならず(まだ進捗3割くらいです)、
いろんなクラシックを画面の裏で流したり、
脳より単純に手を使う仕事に専念できるときなどは、
それこそ最近、クイーンを20年ぶりくらいになつかしく流しながら、やる。

いまも聞き継がれるクラシックという音楽には、
俺は言語化できないけど、持続性を現に示している「意味」があるのだと思う。
チェロとかドビュッシーとか検索して流しているだけですが。

 *

天候もあまりよろしくなくて、
三条に行ってよろしいのかどうか、
わりと直前まで悩んだ(一泊でも雪だるまマークって山中の我が家的に切実なので)。

12月の雪が始まる頃に、集落内で突発的に困ったなあということが起こって、
ある日、一人晩酌した夜や未明に読んだ、ある二つのコラムがあった。

それはその後何度も(今も)反すうして読み返しているものだ。
家人の実家でごちそうになってから山中に一人戻った大みそか
(結果、長座布団で酔って寝落ちするという初の衝撃的年越しをしておった)
の夜も、ちびちび飲みながら、何かにすがるかのように読み返していた。

読む人によっては一見対照的(?。自分にはわからないけど)と
感じる方もいるかもしれないけど、
私的にはそこにあった、


<傷つくとは、そういうことなのです。>

<その後の行動はひとそれぞれ違えど、
 悲しくて泣くまえに、怒りに震えてやり返すまえに、心を閉ざすまえに、
 最初に傷つく。
 そこを、飛ばさないでほしい。
 どうか、なかったことにしないでほしい。
というアイコさんの文章がまったく、染みた。しびれた。

(成宮アイコさんの連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』の
 「DVが生むのは反撃じゃなく自己肯定感のなさ 
  祖父に暴力されたわたしは他人に暴力をふるわない」より)

 *

もう一方はマザーハウスの山口絵理子さんの文章にあった、

<本当に現場にいたら、問題は縮小するどころか、大きくなっていることを感じる。

見たくない不都合な現実は、現場が好きな私の生活には広がっている。>

以降を含めた言葉だった。

https://www.mother-house.jp/magazine/column/eriko/1985

自分(俺)のことを棚に上げてですが、

だからこそ感銘を受けていられるような、

本当に我が目を疑っては見開かされるような、内面の吐露だと感じた。

まいった。染みた。

自分が移住した過程も含めて、いま、より強く

「山中という農山村は農が消えれば、消え時だな」と個人的に結論付けてしまっている。

 *

・と、ほんとうは三条ナイトの翌朝に、

三条ワシントンホテル1000円レンタルパソコンに書き殴った、

ブログ本来の引用機能を使いこなせなくなったあたりから、改行もおかしくなった、

超私的な備忘録でした。

・「友」にいただいた村上龍さんの『ヒュウガウィルス』に感化され、

違うジャンルでも、どんな人であっても、

自分は、自分脳をこそ、もっとブラックボックスにして、

「言葉や表現を、己のエネルギーに変えて生きる」、

そういう可能性だって無きにしも非ずだと思った厄年折り返し地点でした。

インプットした言葉をエネルギーに変えて農業する個でありたい。

・大学3,4年の時に後輩たちと飲んだくれた時によく話した(告白されただけか)、
「でもさ、イトーさんが卒業できるんなら、
 悩んでるわたしら、バカらしいくらい安心です。
 だってイトーさんって、テキトーでギリギリじゃないすか。
 常識的に見て、卒業できるわけないじゃないっすか。」
という、飲むたびしょっちゅう、からまれ、からんだ会話も懐かしく覚えている。

授業に行かず、なぜか夜のゼミ飲み会とか、
サシ飲みとか、後輩たちを集めたり、いろいろ謳歌して、
大変な親不孝で申し訳なかったと自省してますが。

しかしながら、
あの時の仲間や後輩たちとの話題となんにも変わらぬ延長線上に居、
今の山中集落に転じてみて、周りの先輩がたにさまざま叱咤されながら、
「自分が最低限を示せる移住者モデルになりたい。」といまだに自分を
姿づくろうとふらふら試行錯誤している。

「イトーさんができるんなら、悩んでるわたしら、バカらしいくらい安心です。」
という言葉をたまに雪に内包されながら思い返しては、
微笑して、また想いを抱いて雪を掘る。






コートドールの斉須さんの著書を読みふけた名古屋ナイトをふと思い出す。


調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

斉須 政雄 / 幻冬舎






みんなと同じにならなければいけないと思って仕事をしていた時には、
非常に疲れていました。
だけど、もしかしたら、みんなと同じではないところが自分のよさかもしれない。
そう思うと楽しくなってきました。
それまでのぼくの原動力は、日本で底辺をはいずりまわっていたという悔しさだった。

だけど、だんだんと「楽しくやろう」と考えられるようになったのです。
何でもできることが大切なのではない。うまければ何をやったっていいのだ。
いやもちろん、今でもヘソ曲がりの部分は持っていますよ。
口当たりのいい生き方や言動をする人には「そうやっていつまでもウソを言ってろよ」と虫唾が走ります。
口当たりのいい人と仕事をする気は、毛ほどもないのです。









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by 907011 | 2019-01-19 20:13 | Trackback | Comments(0)

「テーゼ」の力。

1月12日、
「いい麩」の日。

雪も止んで、翌日のどんど焼きに備えて、
雪で埋まるかまぼこ型作業小屋にかんじきで駆け上って、侵入。
藁3束を無事に荷縄でくくって、公民館まで背負って、放つ。

荷縄で荷を背負えるようになると、荷縄とかんじきがあれば、
冬でもまさかのビールが切れたというアクシデントが起きても、
手が震えたりしてくる前に箱買いできるのだ。

 *

山中の入口に、12月頃から臨時的に共同青空駐車場ができて、
そこに皆の車が並ぶあたりから冬の「難儀」が始まる。

そのうちの片方は、
”オクサの田”の用水路を利活用して、
「多面的機能」的にパイプでつないで、
5、6台分ばかしであるけど、車を止めた後部から水が出るように、
ちょくちょくパイプの目詰まりや、
雪壁を越えて、取水口の詰まり解消のゴミ取りなどにゆく。
(3回に一回くらい、手袋に水が入って悶え苦しむ)
うまく融水が穴穴からぴゅーっと出てくれると、
まさしく「山中共同モータープール」となる。

 *

そんなこんなをしていたら、
冬場は郵便配達屋に身代わりする義父があらわれて話を交わして、
ため池のポンプ小屋の雪掘りをしたいというので、
天気も良かったので、アルバイトにまかることにして、出る。


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雪こそ少なくなったものの、目指すポンプ小屋(写真右上)まで、
道もないので結局移動時間が半分のようなものだった。


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雨でだいぶ嵩が減り、その分よく締まって重かったが、
日も射して、さくさく進んで「あっ」という間に終わる。

家の屋根雪掘りと違って、
高さというか落差がない(ワタシは極度の高所恐怖症でもある)ので、
天気もいいし、時間もあったので、
「掘りてーぜ」と、
「稼ぎてーぜ」という、
2大「テーゼ」によって、いい冬のバイトができた。



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帰路へ発つ。
道踏みと違って、来たときのかんじきの跡を同じく踏むだけなので、
行きよりは楽だったが、上り坂だったので、やはり移動でくたびれた。

その後、別の”新たな家”にお祝いの炊飯ジャーを背負って上り、
洗濯機の水漏れ騒動と小一時間くらい悪戦苦闘したりなどする。
漏れて吹く水を浴びたりなどして、これは本当にかじかんで手が震えた。

よく働いたので「上がり酒を呑みてーぜ」となり、
この夜も酒は正しくうまかった。

テーゼという力のモーメント











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by 907011 | 2019-01-16 06:35 | Trackback | Comments(0)

萌え。

13日。
小正月行事、どんど焼きの朝。

うち”ふじみや”の作業車庫に
中古だけど新たなコンバイン(ゾウの鼻みたいな筒のついたヤツ)が加わっていて、
いまなお切実に欲しいそれは、しかしながら、車庫からはみ出し過ぎていて、
どうにも格納し切れずにぶつけ続けたりするという、
良いんだか悪いんだかという小正月夢のなかで、
山中のタモさん”ことタモツさんもなぜか車庫に居た。

前後にぶつかりながら苦悩格納する自分に、
「違ーう、そうじゃねーろ」と、鬼コーチ的に居た。

 *

引っ越しで途絶えてしまった「ほうきキビ」の種を新たにもらった。
で、この午前に本当は市博物館でやる手ぼうきづくり体験なる講座に参加予定だったけど、
満員になってキャンセル待ち1号となり、謙虚に正座して電話待ちをしたが、
結局風邪っぴきなども出なかった様子で、電話は来なかった。




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そんな諸事情で、今年のどんど焼きは13時集合で、
これまで午前にやっていた準備自体も13時から始めた。
どうやら正夢だったらしく、奇遇にも山中に来ていたタモさんをつかまえて、
竹切りから藁積み、巻き上げという協働作業に活躍してくれた。



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今年はなかなかきれいにできた、
なのからかどうか、
山中の総行事総合司会者担当(俺が無口で仕切らないから)のシゲルさんがカメラ目線だった。
タモさんはやおら車からガスバーナーを出して、
子どもが火入れした後、念入りに点火。



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各々がた、イカを焼いたり、子にマシュマロをあぶったり、
切ってきた竹コップでまずは火を囲んで皆で一升。
イカは年寄りの歯的事情で、スルメではなく一夜干しの柔らかい方オンリーになった。
2年前まで神社で継承されてきたどんど焼きも、
高齢化につき、雪の神社まで上がれる方が少なくなり、
公民館の前で小さくやろうという方針に変わった。

今年、竹はワタシの農業ベース”つきよめ沢”の田の方に向かって倒れてくれた(と思う)。

火の後始末をしながら、皆さんには次の口を公民館二階で始めてもらい、
俺とタモさんは燃え残りを攪拌し、
隣のチヨさんは「俺はもうこれで十分だ」と言って、
火にあたりながら残りの竹コップ酒をあおっていた。

チヨさんがやめた田を拾って4年目。
拾う代わりに草刈りだけはしてくれと頼んでいたのを、
昨秋に「俺は草刈りも嫌になったからやめるぞ」と言われ、悶々としていた。
火を囲みながら、再度チヨさんに交渉して、
年貢と作業分の米を今年もやるからと念を押して、あと一年だけ
(俺が追加した一枚だけはどうしても刈らないというので俺が刈るという条件で)
草刈りを継続してもらった。

交渉成立し、気分良く二階に合流してビールを飲んだ。
今年も我らのサイズで、盛り上がった。




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by 907011 | 2019-01-15 06:21 | Trackback | Comments(0)

蕎麦っ食い。

この間、
塩沢の麦麦ベイクさんでパンを二つ選んでレジに運び、
遅ればせながら新年のあいさつに(いつも相手に先に言われて)頭を下げる。

ちょうど他のお客さんが来る頃合いまで、
ばーっと雑談を交わして、
「じゃあそういうことで。」と金を支払わずに帰りそうになり、
思わず自分で「時蕎麦か」と独りつっこみをいれてしまった。

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毎年、雪掘りのときに
柳家小三治さんの「時蕎麦」 を聞いて(イヤホンを切って片方になってしまった)ると、
じつに旨そうに食うので、無性に蕎麦が食いたくなる。

麦麦さんの向かいにあるふかぐら亭に行こうか、などと考えたら、
年の瀬に続いて、年明けもストイックに蕎麦打ちをしていた、
ミツタカさんから、種まきから手掛けた打ち立て高尾蕎麦をいただき、
数時間後に茹で立てのところを、つつっと手繰った。
蕎麦、うまい。



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時蕎麦は上方落語では「時うどん」になるが、
ルーツは時うどんの方が先で、それが江戸に来て時蕎麦の噺に転じたらしい。

蕎麦は(蕎麦湯も)肝臓には良いらしい。
飲んだ後のざる蕎麦もうまい。
「こっちゃあ蕎麦っ食いだからよ」なんていってつつっと手繰るのが善い。










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by 907011 | 2019-01-14 07:03 | Trackback | Comments(0)