人気ブログランキング |

山中記

<   2019年 02月 ( 22 )   > この月の画像一覧

闇の文化。



最近、一杯目がビールではなく、
手作りの「どぶ」をまず小ぶりな湯呑に一杯飲んで、味わう。
米と水と酵母で造り易い、これだけの発酵健康食品は貴重だ。
(定期的に読まれている方は
 うっすらおぼろげに察知するかもしれませんが、
 酒の話をまたしています。)


ドブロクを舌と歯と喉と胃と脳とで堪能しながら、想った。

「ヤミ」なんだけど、
地域に伝わるものについて。

後に法的につくった規制上、
「正しく」もないのかもしれない。

でも、
その以前から、
そここの集落、家の暮らしのなかでつくられてきたものなのだ。

 *

たとえば、ドブなら、
米(田の開墾)から、
こうじから、
種(モト)から、
山と沢とに内包された田んぼで春夏秋冬を経てつくられて、
そして継がれてきたもの。

「いわせてもらえば」。
(ボヘミアンラプソディー観て何か染みた人は、
 田口トモロヲ監督、脚本クドカン、みうらじゅんさんが原作漫画の映画『アイデン&ティティ』
 麻生久美子の表現するところを見た方が良いと思う。)

『六法全書』よりはるか古代っからの”先住民”的な特権っつうもんがあるよなあと、
胃と脳のあたりにぽっと灯をともしながら、想った。

情報がますます氾濫していくなかにあって、
出来事がシロとクロに二分されなければいけないと声高に言われたりする。

 *

でも、より大切なのは個として抱くことができるイメージだ。

「白の立場」と「黒の立場」の人がいるとする。
人だから、二人は言語を交わし、歩み寄る可能性を持っている。
それを、持続可能性を探す試行と呼び替えてもいい。

シロとクロ、二つを醸せばグレーになる。

正しいとか、正しくないとかじゃなく、
それぞれ、似たか寄ったか程度のほとんど五分五分で、
いったん立つ瀬を離れて家路につけば、ただのおっさん同士だったりする。

たとえば企業で面接される側と面接する側だってそうだ。
「この人だって、家に帰ればただの母ちゃんに怒られるようなオッサン」、
だったりするかもしれない。

 *

「それぞれのスタンダード(基準)は、
 それぞれに異なるということを想ってください」、と
北極から南極をソリや自転車で移動した若者たち「Pole To Pole 2000」後の
石川直樹さんがりゅーとぴあでやった講演のまとめに言っていた。

「もう少し、情報を疑え。」と、
(やはり帰国後の報告会のスライドショー@新潟大学)
”俺には写真でしか表現できないものがあるんだ”と語っていた、

立つ瀬は異なる。
だから、自分も無数の世界を、まったく何もかも知らない。

その地域に口伝されたものも、
動作の真似をして覚えられてきたものも、
その逆に、海郷の文化もまったく、
街場の基準というのも、知らない。

公務にあたる全員がパブリック・サーバント(公僕)であることに倣い、
僕としての視野を基準に組み込んでいたい。
何を酔狂な山中生活、をしながらボクは見て居こう。

モトがどんなに心細くても、
人殺し以外だいたいのことはできるようにならねば、
ケモノ以降の後進の移住者である自分などは山の中では暮らしていけない。


 *


<選手たちの間で本当にストレスが溜まってきた時には、
 フォワードの選手にバックスの練習をさせて、
 バックスにフォワードの練習をさせます。
 そうすると、お互いのつらいところがわかるから。
 動きながら他の人と触れることをしておかないと、
 組織はうまくいかないし、文化もつくれない気がします。>
(中竹竜二さんが『にわかラグビーファン、U20日本代表ヘッドコーチに会う。』より)











***********************



by 907011 | 2019-02-28 06:51 | Trackback | Comments(0)

57days after。



「こねえなあ。」
「あれ、おかしいなー。」
「なくなっちゃたんでないのかなー。」
「戻ってくるのかなー。」
などと、
稲川淳二怪談調のメールを往復していた、
長岡から結婚渡米した男・サンディエゴのタカオ君から、
「やっぱり届いてないみたいなので、写真を送ります。」
とあきらめて画像で年賀状をもらったのが山中時間の2月4日。

その後、イサオ兄一家とクイーンの映画を見に行った際に、
延々と続く(今あんなに予告編って増えてるんですね)事前の時間で、
いちばん気になって観たいよなあと話していた『グリーンカード』が、
アカデミー賞をいっぱい獲って、あーやっぱり見たいよねえ、
などと予告編を見返していたら、
昨昼、義父が配達した文書類のなかにあった。たかおとライアン夫婦からの謹賀新年。



b0079965_05285004.jpg


クリスマスプレゼント(半分は雪を食う子ども、半分は雪を踏んづける自分用)に
購入した地球儀をあらためて眺める。
緯度(?)はわしらよりちょっと下なのだなと眺めながら、
イトー家とタカノ家との距離を想ってみる。





b0079965_05334015.jpg




タカオとだって車や電話や通信手段がなければ、
長岡で飲み倒していた俺なんぞとは、出会いもしなかったろうし、
俺が先に山中に移住して以降、何度か遊びに来てくれた。
(うち一回は屋根から飛び降りて骨折中のたかおを長岡まで迎えに行き、
 山中の家まで拉致した)

その後、何度か飲んだりしているうちに、
彼いわく「最強のパートナー」ライアンと出会ったことを聞いた。

身内のお見舞いがてら長岡行った際に米を手渡しながら、
まさかの結婚&渡米計画を聞かされて、一家でたまげたりしたけど、
だいたいそういった後というのは、
ほぼほぼ疎遠になりがちなのが”我が家あるある”なのに、
つながっているそれぞれの人生の妙。

出会った時の坊主頭二人による「ぼーズ」時代から、
超ストイックな大工見習の日々の詳細や大工という生業の機微や感情の吐露を聞くのが、
農業見習いの俺にはその都度とても刺激的だった。
LIFE.


b0079965_05234920.jpg



頑張って銭を貯めて、
米国に米を手渡しにいきたい。がしかしあと10年かかっても具体化できるかわからん上に、
タカオが長岡実家に一回帰省するのが絶対に先なんだろうな。

ヘルシーでハッピーで、不思議を毎日味わいながら暮らし合う。
こちらも同じく慌ただしいけど、まあなんとか。

 
 *


人生とは何かを計画しているときに起きてしまう別の出来事のこと>
 熊に襲われて亡くなった星野道夫さんを想って語られる言葉))
















**********************




by 907011 | 2019-02-27 06:13 | Trackback | Comments(0)

微睡み。

「人間の最大の武器は、『習慣と信頼』だ。」と、
伊坂幸太郎原作の映画『ゴールデンスランバー』の序盤で、
黒板純、じゃない、吉岡秀隆が問いと考えを言うセリフがある。
その後、「イメージだ」、もっと考えろという表現が何度か登場する。

なんというか、終始ロックなお話しで、
題名にもある通り、ビートルズに惹かれ、
惹かれることによってつながっていた日本人の若者のイメージを描く場面もある。

自分はなぜ中年になってから
(帰省のたびに年々強まるからじわじわと感じましたが)、
故郷の訛る言葉に、妙な落ち着きを取り戻すのか。
会話(というか感情)を促されるのか。
標準語半分と化した脳細胞が何を感受しているのか。

セガレが今雪食ったり、
雪におしっこをしたり、
杉っ葉を拾ったり、
薪棚から温まって出てくる虫たちを見つけては「こんちゅうホテル」をつくって観察したり、
ネコという名の拾われ猫と寝たり、
鶏と遊んだ記憶など。
山中という風土に包まれ暮らしながら五感で宿した記憶も
あと35年くらいしたら(俺察するに父はもう死んでますからね)、
何らかのイメージとしては、かならずよみがえるのだと想う。

 *

歌の歌詞の言語を母国語として、もし生まれて、
ビートルズや、なんだろう、オペラとかを聞いたら、
何を感じられるんだろうなあ、どういう風に耳から脳に伝えられるんだろうな、
と昨日『Golden Slumbers』を聞いて、
子守歌(”黄金のまどろみ”)のなかで想った。

 *

「信頼」をイメージとして掻き立てられると、
どうしても、ネガティブな過去の人間関係ばかりが思い出される。

映画でベンガル演じる粋な花火師が、
”思い出ってのはな、いきなりふとしたきっかけで思い出して、
たぶんそれでよお、同じころにその相手も同じように思い出して居るもんなんだよ。”
と話していた(うろ覚え)。





b0079965_05354977.jpg




<人が自分を覚えていてくれるかどうなど、
 どうでもいいことだ。
 そう思えるようになったのは、
 べてるの家の人たちと出会ったおかげかもしれない。
 
 私が相手にとってどういう存在か、
 それは配慮として気にすべきことであって、
 それ以上でもそれ以下でもない。
 
 私も出会った多くの人の顔を忘れるが、
 そこに他意はない。
 何度でも出会い直せばいいのだ。
 生きていればそれができる。
 (田口ランディ『寄る辺なき時代の希望』)>








**********************


by 907011 | 2019-02-26 06:10 | Trackback | Comments(0)

毎年冬に一回やるヤツ。



諸事情(家庭の事情というやつですなあ)により、
しばし酒の話は割愛して、節酒、節税あわよくば脱税につとめたいと思いますが、
・金曜の夜(前前日の夜準備):ひさびさの休肝日

・土曜昼~終わり:鯨酔。
破戒と自己破壊という衝動欲求にコントロールされる。
ブラックアウトしてホワイトアウトするとこだった。
でもバスには家人(一回逃亡、遭難したらしい)により奇跡的に乗せてもらった。
リュックをパンパンにしたフミオさん(人が好過ぎて勧められると全部買ってしまう)と会う。
「おぅ、やっぱり山中に居るのが一番だなあ。」というフミオさんと上機嫌で帰宅。

・日曜日本祭:朝いちばんに「断酒令」が発令され、一滴も飲まず。
(某アサヒのノンアルビールを背負って持参したものの、
 俺が手に持てば某スーパードライにしか見てもらえないとびびり、
 ペットボトルの辛口ジンジャー炭酸水二本でしのぐ。)

もう20年くらい、
飲み友達は皆知っている、
毎冬に一回やる「鯨酔」(酔った方が偉いという西原理恵子さんの土佐の言葉)。
高柳編は、ブルーシートに包まれて雪のなかを搬送されるというデビューから幕を開けた。

がしかし、破戒と破壊衝動欲求的自分には打算もあり、
問題起こして雪まつりスタッフに強制的に選任される「コミセン理事」という、
留任(継続)の本人意思確認の機会すらなかった一回も会議に出ていない、意味のわからない役を
解雇通達文書一枚でもう終わらせてくれないかなあと企んでおる節もあり、
ショーゴ会長に、
「ねえねえ、なんかクレームとか来てないか。」
「なんでもいいからクビにする手はないのか。」とメールしたが、
響かず、「辞めれません。」という返事が来ただけ・・・。
「作戦失敗」「バーサーカー。バーサーカー。」とつぶやきながら雪を割って
メールを待っていたのだが、
米国人の”まったくお手上げだぜ、おまえにゃまいったよ。”みたいに
スコップを放り投げてあきらめてバスに乗る。

 *

我ながら人としてどうかと感じたのですが、
ノンアルコールだと、購買意欲がまったくわかず、
昨日はとくぜんさんのわかめうどんしか買えなかった。

購買意欲がないとまったく暇になってきて、
スノーフラッグスに山中米を景品にしてもらったので、ふらふらと出てみた。
とりわけ、荻ノ島を継ぐ男・ハシモト君と、
ヤマさん農舎の美人妻カズエさんが格好良かった。
俺は最後のざらめぐっちゃりになった40代’Sで出てみたけど、
瞬発力というのものが全然足りず、一本もとれず。
山中米の宣伝をとマイクを回してもらえたものの、
ワシ、もうヘロヘロで言葉が途切れ途切れだった。
一番のおっさんカテゴリーを最後(一番コンディションの悪い雪)にやるのは、
難儀の極みで、「鬼か。」と思った。

その後、麦麦さんで余ったミネステローネを鍋ごともらい、
パンでこそぎながらいただき、
ナガエ師の娘婿さんの手作りスイーツとコーヒーをごちそうになる。

お片付けをまじめ風にやって(皆毎年ですが終わりたくて常に苛立つからあまり楽しめない)、
17時ごろ家に帰り、薪をくべ、
スノーフラッグの難しさと一本もとれなかったのが、
徐々に悔しくなってきて、
その後、真っ暗で見えなくなるまでクイーンを耳に挿しながら雪を延々と掘って発散。
我が胸あたりにある横っちょに投げ上げ続けて、汗だくで再帰宅。

プロテインココア味とノンアルビールを飲み、
風呂に入って、トマトジュースの炭酸割りを飲んで全員くたびれて寝落ちる。

20時過ぎに打ち上げから思いのほか早く帰ってきたと思われる、
ノリオカ副実行委員長から「俺はスクラップアンドビルドでいくぜえ。」
というメールが来ていた。



b0079965_05544958.jpg



昨日、すべり台でガクが保育園児友達と出会って、
「登っては滑る転ぶ→登る」の無限ループに入った、
ちょうど善きタイミングでひさびさにお会いできた漆島集落ナガエさんとお話しができた。

師いわく、
会議とかは優先順位でもって休めるだけ休みなさい。選択と集中。
そしてある一冊の本を取り出して、マーカーしたところをいくつか講話してくれた。








地域づくりのなかでは「選択と集中」はあってはならない、
という話に、雪掘りしながらしばし考えさせられた。

サクライ市長の挨拶も高柳の雪まつりもそろそろ終わり宣言みたいな第一声から始まり、
リップサービスはとうに消え、悲惨に感じられた。私的主観ですが。

自治体のなかで「選択と集中」をやってしまったところはいずれワヤになって、
墓穴を掘る。

我らは雪を掘る。
掘るまいか。
(誰が掘らずに居られるものか。掘ってみせるさ。)



b0079965_06164970.jpg


<アメリカで3万人を対象におこなわれた調査では、
 強度のストレスを感じていた人々は、
 死亡リスクが43%上昇していました。

 ですが、ここからがわたしの驚いたところです。
 結果をさらに調べていくと、死亡リスクが高まっていたのは、
 「ストレスを感じていた人のなかでも、
 『ストレスは健康に悪い』と考えていた人だけだったんです。」>
(ケリー・マクゴニガルさんが『「わたし」を肯定する研究。』の中で)















***************************


by 907011 | 2019-02-25 06:19 | Trackback | Comments(0)

今宵、「高柳雪まつり」:『山中米』も出ます。



日本の雪郷(ゆきさと)
たかやなぎ「雪の祭礼」

柏崎市域は、「山郷」と「海郷」それぞれの文化圏を含んでいると思う。

山郷に在るのは雪国文化、山の暮らし。

「高柳雪まつり」というイベントを振り返ってみれば、
本来の目的とは、遠くから来る誰かのためではなく、
むしろ、「ここで暮らす自分(たち)のため」だったのではないだろうか。

”その場のなかに需要(ニーズ)があればイベントは成立する”、と言われる。
ただ、ほんとうの目的、
つまりは「ここで暮らす自分たち」は何をもって満足するだろうか。

そう考えてみると、
雪まつりの目的はおそらくわれわれ実行していく側に内在しているのだと思う。
ちょうど、集落の祭礼がそうであるように。

外の人から見れば、雪まつりは経済としてのイベントかもしれない。
単なるイベントであれば、常に”目新しい何か”が無いと満足してもらえないだろう。

しかし、ウチ(内)にいながら感じるのは、
特段、目新たしさを求めることではない。
むしろ等身大を続けられることへの満足感や自負だと思う。

 * * *

雪郷としての高柳だからこそ、
「雪の祭礼」というテーマを掲げたい。

もっとも、華美な祭礼ではない。
これまで行われてきた雪まつりを継続させるべく、
われわれ実行していく側が現場で考え、集い、現実を試行錯誤しながら、
この雪の郷での暮らしを楽しむ二日間にできないだろうか。

山の田にとって雪は恵み(資源)でもあり、一方では災いの諸刃にもなり得る。

年にいっぺん、雪神様を見立て、「雪」に祈ってみるのも、
雪郷らしい自然との関係の持ち方だと思う。

雪の郷の神は山郷の神。
狐は神の遣い。
山の天水の米は雪の恵みでもある。
巨大もちつきの紐を引っぱり合って、その福を授かる。

雪郷の文化は循環を描く。

高柳が高柳らしいことをするのが、
今われわれがあらためて向き合うべき「具体」ではないだろうか。

雪郷の祭りは、
その具体を皆で考え合うための舞台でもある。


数年前に雪まつりの会議用に請け負った
(というか、門出の親分にジンギスカン屋に招集され、
 想いを聞かされて、フリーライター魂として受注していた)、
もう数年も前の雪まつり会議の初回用(以降、全っ然使われてないじゃねえすか)に書いた下書き。
そもそもワタシ、旅の者ですから雪まつりを振り返れないし。

親分の想いをメモしたものを眺めつつ、
ほぼほぼ、山中の神事や田んぼのことを想って、
2階にこもって(下に居ると来客が来て集中できないので)
半日くらい校正(自分は物書き時代も校正の頻度が我ながら多すぎる型だった)を続けたやつ。
我がごとながら、すっかり書いたことも忘れていた文章でした。




b0079965_05412022.jpg


雪郷のまつりへ、是非。
子どもらの竹灯籠や雪の中の灯りも夜だけなので、
今晩見てやってください。



数か月(数年?)ぶりに昨夜、休肝日にしたんですワタシ。
ノンアルで、土日に出店者の頑張りに敬意を示し、
身体を張って酒税で貢献します。
最後はスキー場入ったところで花火の監視員(けっこう穴場)して最前線で見られますので、
お立ち寄りの友達は酔っ払いケータイに連絡くださいませ。
(わたしよく飲むので20時30分まで花火監視員して、
 終了と同時にダッシュして軽トラを一晩捨てて、
 20時40分、町事務所発の山中バスに飛び乗る予定です)



b0079965_06384065.jpg
          (一昨年の「経て。」から、だいたいこんな感じ。
           そうだ滝沢さんの演奏会とドローンで撮った映像も今晩だ。)



これから、
知る人ぞ知る、驚愕と好奇の視線で見られる”人間色選機”
(一粒ずつ全部の米を確認して袋詰めする荒行。
 昨日は急な発注があり、
 一家3人でずーっとやって15時頃ヘロヘロになって
 実行委員会に届けた。
 でもその間聞いたクイーンとビートルズ、ジョンレノンは素晴らしかった)
をまた続行して、
山中米』2kg袋1600円を
雪まつり中に販売(宣伝程度の量しか作れないと思われますが)する予定です。

買って。山中米。
(くず米で育った自家鶏ふん堆肥・切りわら・ヌカ・籾で循環。
 農薬・化学肥料一切なし。手取り除草。はさがけ)

参考:「山中米」のこと
梅原真×高柳町山中 (「山中米」というラベルの復刻について)
はさがけ(ドジョウとかのこと)
テデトール(手取り除草と石黒集落のこと)
ミント畔の田(カメムシ防除など無農薬の訳。カモシカには効かず)


 
b0079965_06141808.jpg




<多くの伝統的社会において、「対立」の相手は知り合いです。
 社会の規模が小さく、一生を数百人のコミュニティで暮らすわけですから、
 そのときの「対立」の相手というのはたいてい、何らかの関りがあるという存在なんです。
 そうした社会で「対立」が起きたときに大切なことは
 「関係をどう修復するか」なんです。
 一方、先進国の社会で「対立」が起こったときに大切なのは、「どちらが正しいか」です。
(ジャレド・ダイアモンドさんが『おどろくほどクリアな視点』の中で)>






*************************


by 907011 | 2019-02-23 05:51 | Trackback | Comments(0)

生道。

雪を「掘る」という表現は、印象的だった。

他所から当地に遊びに来る物好きな人たちも皆、
雪を掻くとか押し出すとかでなくて、「掘るの?」とたまげてくれるから面白い。

いま、遅々として進まない(次第に義父が配達員する冬の郵便受け@公民館を見るのがちょっと嫌になってきた)
事務処理を未明からしつつ、
眠気覚ましを兼ねて、外にふらりと出る。

ふんが―という「ムロフシ的時間」で発散しないと
書類や、たまの人間関係の向上に立ち向かう気力がわかないので、
イヤホンを耳に挿して、掘って汗だくになってからまた戻る。






b0079965_07592207.jpg


冬の積雪でこそ自在につくられる「歩ける道」を
かんじきで更新するのが難しくなってくる(ズボズボにはまり落ちる)くらい、
今シーズンは雪が少なくて、春からの水取り合戦が激戦化するの図が想定される。

 *

いまは、既存(冬季用)の歩ける道を補修しつつ、
90度ほど右側に、本来の春夏秋の軽自動車が通れる村道目がけて、
日々、山古志村の隧道ドキュメンタリー『掘るまいか』精神で、
新しい方向へ道を掘り出している。

いつもならあと一か月後にやる作業だ。
小雪というのも気がせかされてたまらないものだ。

 *

明日、22(土)夕方~23(日)日15時まで、
「高柳雪まつり2019」にお越しください。
「祭りとは酒である。」というのがワタシの秋田や漂流先で
常に言われてきた格言であるので、一緒に酒税に貢献しましょう。








***************************




by 907011 | 2019-02-22 08:09 | Trackback | Comments(0)

地域おこし協力隊(2名)の募集について。











b0079965_06592322.jpg





本州(日本列島)を浜辺にじーっと座ってビールを飲みながら、
眺めて、静かに考えることのできる島で。

粟島浦村地域おこし協力隊を2名募集します。
詳細



新潟日報「上を向いて歩こう人口減少社会」連載記事
粟島編






b0079965_06592347.jpg





(撮影:大字山中・乗岡元孝カメラマン@麦麦ベイク&高柳雪まつり副実行委員長

 *

高柳雪まつり2019は、2/23(土)・24(日)です。

百姓のそば屋「ふかぐら亭」店主ヒデキさんのブログ(エキサイトつながり)が
久々に、「雪まつり打ち上げ」の地鶏鍋仕込みで更新されていた。

あいさつに来られるかもしれないサクライ市長に、
会場からブーイングと『We Will Rock You』が起こり、雪玉、空き缶などが一斉に投げられる、
ステージ上に酔っぱらった新成人みたいなのが乱入して「イエ―!」ってする、
公用車のガラスが叩き割られるetc.
・・・などと、
いつの間になっていたのか、
サクライ後援会各地区代表の一人である忠犬・ワタシはひじょーに心配だ。













************************


by 907011 | 2019-02-21 07:02 | Trackback | Comments(0)

わらし。

・月曜の会議で今春からの高柳の行政とのつながりについて、
各集落が想定していた以上に、
より厳しく縮小や断絶がされることが通告された。

(完全な街中からのトップダウンなので、
 高柳町事務所側も板挟みというか、頭を悩ませ中とは伝わってくるものがありましたが)
あと数十日後に迎える現実として、
たとえば所長&所長代理を含む正職員10人(プラス市役所所属からの係が数名)が5人になるだとか、
窓口を事前電話予約制にする、
転居も出生も死亡届(死に騒ぎの遺族の各種手配のバタバタを思うとかなり難儀)さえも、
市役所まで行かなければならないetc.

そういった「財政健全化」予算がもはや、
(たしか)今日だかに議会に上程される見通し。
すべてが、矢継ぎ早だった。

・車を持っている俺などは役所に行く機会もあるし、
一般常識を無視して白タクするのだってこの村の正義だと思う阿呆なので
五体「健全」だ。

どこもかしこも人口減で税収も減るなかで、
健全化のために必然というか末端の手足毛細血管はやはり不利だ。

・ただ、各区長がたがさまざまに苦言を呈していたのは、
そのことを各集落に住んでいる一人ずつに、
各集落代表の口から、顔を見ながら理解するまでお伝えしなければいけないから、
切ない3月を迎えるのだと思う。

・某区長は
「俺ったが、後ろから突然背中をばっさり切られることに
 どうしても憤りを感じてしまう。
 ここに住んでいる人間がいる。暮らしというものがある。

 せめて向かい合って切られるなり、切腹するなり、
 そういう筋を通す機会がせめてでも欲しかった。」
というようなことをおっしゃられていた。

・まあ、全国津々浦々、相似形だと思うし、
現場に居てくれる行政の一人ずつと関係をつくっていくのはこれからも、
変わらずに各集落が努力しないといけないのだろうとも想う。

 *

・山中は耳の不自由な年よりも居て、
公共交通も事前電話予約でさんざん苦労したりした。

事務局の不備で、
(某コミセンから会議案内来てたよなあ。
 山中って4月時点で18戸だったけど、
 コミセン会費支払い請求が来た5月には17戸に減っていた小部落から
 今年もまた3万6千円納めてるのになぁ。
 嫌な気分がするなー。
~怪談の稲川淳二調に読んで下さい~)
「岡野町~山中線の公共交通の会議に、
 お前も山中・塩沢の代表で出てくれ。」と会が進んだ中盤に呼ばれたのでした。

で、初参加してみたら、
もはやすでに時刻変更や、
事前電話予約が必須という「デマンド制」案を選ぶしかないような展開にほぼ成っていた。

朝夕のスクールバスとの「一般混乗」を
縦割り行政を横断して教育委員会と検討してくれないか、
と意見したけど、持ち帰ることもなく、その場で却下された。

それらを集落に持ち帰って説明させられるという、
あまりにも一方的な矢継ぎ早通達だったので、
どうしても納得ゆかず、主担当者には公民館にご足労をいただいて説明会をしたら、
普段、絶対前に座らない足の悪いバサ連中が
「おらたちのこの足を見てものを言ってくれ。」と、
一番前に陣取るという珍しい現象が起きたのでした。

(例えば月曜午後のバスを利用するのに、
 前週の金曜昼までに電話予約が必要という”デマンド試験”をされて、
 結論として
「ほら見てみ、自分ら利用者少っくないやん。賢い賢いデマンド制が機能してへんねん。
 ちょっとこれからパーティいかなあかんねん。」と偽関西弁で(嘘)言われ、
 いまや朝7時半と11時の2便しか岡野町に出る(帰る)公共交通がなく、
 町事務所や診療所や農協に行くのも一苦労、となった経緯がある。

 柏崎の病院に通う年寄りなどは、帰りはタクシー予約になる。
 頑張ろう、はくタク。
 柏崎タクシーじゃなく、白い方のハクタク。)

すでに一回そういう苦くて重たいやつを経験しているので、
(その説明会をした時点で
 「もう俺らにはここに住むなってんだろな。」と、
 今も元気に田んぼ畑を生きがいにやっている某江戸っ子Uターン住民でも
 下を向いて悔しがっていた。
 いまだに口惜しい。)

説明会でも冒頭からデマンド、デマンドって言ってたけど、
皆、内心、「デマンドって何だよ。意味わかんねえよ、日本語で言えよ」と思っていた。

試験体となることも決まったものの、
どうにも腑に落ちずに何とか手はないものか、
もしくは、どう受け入れて飲み込めば良いのか悩み、
その筋の某氏とメールをやり取りする中で、
主担当者(まあこの人も上からお達しされて大変だったろうけど)は、
いろいろ略された末に、「デマンド・ヤマダ」と呼ばれた。

そしてデマンドヤマダさんは主担当に居(お)らなくなられて、
なんとまあ、
5年以上前から高柳を含む多くの小さな農山村集落を献身的に救ってくれている、
才覚と人格を備えた某氏が、奇跡的に主担当に異動された。

それはまた別のお話し。

 *

自分が脱サラする、もう17,8年も昔に出会った、
上越の中川幹太さんという方がいる。

自分が農業見習い一年目の時に、
旧松代町まで、上越の桑取(高速で言えば名立谷浜インターから30分山奥)から
原チャリで来られていろいろ見て回られて、
その晩にサシで飲んで話した時、一歳上のかんたさんを見ながら、
「あー、こういう人がこれから地域をつくっていくのだな。」と小便をしながら実感し、
かつ、「知事とか総理とかになっちゃえばいいのに」とも思った。
そして帰り際に焼酎一本飲んで案の定、
格好良くお別れしたかったのに玄関で吉本新喜劇ばりに派手に転んだのだった。

たまさか昨日久しぶりに中川さんの公式サイトをのぞいたら、
日記の中に、
元所属元の親分でもあった関原剛さんの講演を聞いたくだりがありました。

都市も農村も荒廃する現状は「先進国病だ!」と言い切り、
 上越市が世界のモデルになる!と宣言しました。
 あとは行動するのみです!

我ら、同じく日本(世界水準か)最先端の山中も、
懲りずに「適疎」を考えて、努めてみましょうかね。




b0079965_05321921.jpg



そんな決起があったかないかお互いしらんが、
「俺はここに城をつくってみせる」と子が穴を掘りだした、とある日。

数十分後に裏で雪を掘ってきてのぞいたら、
「行動あるのみ」の男はなぜかすくっと立ち上がられて、


b0079965_05321902.jpg


世界を融解しはじめていた。
「城域」ではなかったのか、そこは・・・。

そしてケアレスミスで「ずぼんにしっこがかかった。助けを請う」といいながら、
フルチンのまま雪にまみれながらドタバタと玄関に「ひゃっこい」と叫びながら戻っていった。

夏とも違って雪で小さな用事をしていると、
意外といろんなアイデアが湧くことがたまにある。

最近は春の訪れが待ち遠しいらしい。

圧倒される雪に埋もれて、
通常存在し得ない「歩ける道」を自在に毎冬つくり、通い、
その雪が終わる春の爆発的な喜びをすでに、
”わらし”なりに感受しようとしているのか。
保育園バスに乗る時と風呂あがりなどは、
「ウィーウィルウィーウィル ロッキュー。シィギン!」と繰り返し歌っている。

子どもの世界にもロックはそこここにある。

『ゴールデンスランバー』の映画終盤で、
「そっか。いやー、ロックだなぁ。ロックだよ!
 ・・・ビール冷えてる?」と
男を救った男が、鬼嫁にしばかれながら笑うシーンはしびれた。

「適疎」=good balance.

山の中の暮らしに断絶はない。










*************************


by 907011 | 2019-02-20 06:22 | Trackback | Comments(0)

クロッキー。

先月に
ぐるぐるぐる」という
高校時代の美術の時間の回顧録(思い出したので備忘録メモみたいなの)を書いたら、
共感なのか知人メールなどをもらったりして、
奇抜な先生と絵の描けない生徒(俺)の雑記だったので、やや意外だった。

おそらく俺と似ていて、
「てやんでえ、美術なんてのはよくわかんねえけどよ。
 いい先生だったんだな。そのぐるぐるのクロキ先生ってのはよ。」
という、なぜか江戸っ子調に共鳴する感想もいただいた。

 *

昨日、午後から休めないうちの会議の一つがあったので、
束の間でしたが、少し雪を踏んだり、
最近かんじきの不具合が多いので(雪質が変わったせいか)、
前述したマタギの会(勢子見習いというか「捕虜」みたいな新米)のときに活躍してくれた、
大きい方のかんじきに履き替えたりして、歩いたりなどした。

 *

で、そのときふと晴れ間が射して、
なぜだかよくわからないけど(「美しい」と思ったからだと想う)、
ふと、またクロキ先生の美術の授業を思い出したりなどした。


それもたぶん前回と同じく高校1年生の時だと思う。
いきなりクロキ先生は、女子たちに、
「みんな綺麗になりたいでしょ?
 もうちょっと自分はかわいくなりたいなあって思うよね。
 今日はその方法を教えましょう。方法は一つだけあります。」
と言い出した。
なんだそりゃと思いつつ聞いていたら、
師、続けていわく、
「ただし、絶対に君たちには不可能な方法だともワタシは思います」。



b0079965_04085077.jpg


「それは、
 毎日起きている間でいいのですので、
 (きれいになりたい)(わたしはかわいくなりたい)と、
 ずっと絶えず、一瞬も休まずに想い続ければ、美しくなれます。
 ね?無理でしょ。他の授業の勉強もある。受験もある。部活もある。
 友達と話す時間もご飯を食べる時間もバス停まで走らなくてはいけない時もある。
 美しくなりたいとずーっと永く想い続けるなんて、できる人、いませんよね。
 だから、不可能だけど、ワタシが考えられるなかでの唯一の美人になる方法です。」

 *

そんな26年くらい前の思い出話を、
25,6年前の山部シャツを着ながら想った。
(高校1年の夏に下宿に入ったせいか、厭世観が極まったか、
 運動神経ゼロ&基礎体力ゼロだったのに、いきなり思い立って山岳部に入り、
 20㎏くらいのザックを背負って、相変わらず捕虜みたいなテント遊びをしていた。)




b0079965_04085070.jpg



最近セガレガクが「映画をつくる。」と言い出して、
不要になった書類の裏紙を与えたら、6ページのモンスター?物語。
(このあと、文章を追加したいというので合作した)

ぜんぜん映画ではないけど、
できた裏紙冊子のタイトルは、
どうしたものか、
「6さいようえほん ドッグモンスター3」とのこと。

なぜ5歳なのに6歳用を描かれたのかよくわからないけど、
写真に写ってしまってます湯呑のドブ (最近の貰い物)がうまかったので、
それはそれで善しとします。

16,7歳よりも、
物心ついたこの一瞬の「」の幼児期こそなどは、
ともすれば、「想い続ける」ということに近づけるのかもしれないな。
映画をつくりたいでも、それが絵物語になっても。
(昨夜は晩酌しながら聞いていたら、ごにょごにょと
最終的には、ユーチューブのような仕組みがつくりたいのだと言っていた)

 *

自分が独り、山に「許される時間」を求めるのも、
もしかしたら、そのへんと関係あるのかもしれない。


想いは、力だ。


 * *


「何がおもろいのかわからんけど、おもろい」
というものが、いちばんおもろいんです。
つまり「わからんけど」というのものは、
オリジナルだ、ということなんです。
(板尾創路さんが『気仙沼大観光旅行』の中で)





***************************



by 907011 | 2019-02-19 04:30 | Trackback | Comments(0)

不安定な自由か、不自由な安定か、それが問題だ。

昨日。
午前に集落の書類の名義変更や長靴とかんじきの補修などやって、
11時半にドタバタと公民館集合。
皆で「お楽しみ会」をして、
いろんな話題で、思いのほか盛り上がる。

イサオ兄がこんなことを言っていた。
「都会にいたら数十万分の1だった。
 けど、山中では一人が30分の1だから、全っ然、違うんだよなあ」。

たしかに春夏秋冬を暮らして居て、
全員の表情が見られる機会が多いし、体調の話や、
上納の時や行事のときなど、ほんとうに一人ひとりと話が交わせる。
昨日も、今日も、明日もちゃんと。日常の時間のなかでも。

ありがたい。

内包されながらでなんぼの我らの暮らしだ。
そして、山中の母ちゃんがたは注ぎ上手である。

昼酒は回る。

酔った帰り道。
玄関までたどり着いたら、家の前の方の
雪を落としまくる崖で雪どけでいちどきにできたクレバスに一人、
「年中さん」の男がはまり、
酔った中年男が「ざまあねえな」と写真を撮ってから引き上げる。
(来年お年玉もらったタイミングで写真添付の請求書つくろうかな)



b0079965_08034763.jpg










**************************


by 907011 | 2019-02-18 08:28 | Trackback | Comments(0)