Q.変態とは?
A.図1に示されるような生態。
図1
「才能とは?」とか「あなたにとってアートとは?」とか
アスリートとか芸術家とか、孤高でかけ離れた世界の人に、
失敬ながら内心”おまえが聞いたところでどうすんだ”とつっこんでしまうような
ただのナルシストな質問を雑誌インタビューなどでよく目にする。
商業誌ならそれもやむなし。
いや、本来、ニンゲンがより見聞きしたいのは、
「完全変態とは?」みたいな内側にも染みて反芻したくなるような問いではないだろうか。
問いでもあり、ツッコミでもある。
「好きなひとにあえる場所は、好きなひとの好きな場所さ。」
という文章があった。
我らニンゲンの変態界をよく表現している言葉だと惚れ惚れする。
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by 907011
| 2021-03-14 08:07
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去年。
松之山のコグレさん家にお邪魔した後、
キョロロにて生き物の分類学上の説明のパネルを見ていたら、
「変態」という言葉に遭遇した。
最近はさすがに公衆の面前だと
恥ずかしくておもむろに出しにくくなったガラケーを
躊躇うことなくポケットから出して、
子ども、そのママなどがわらわらと往来するなかで
親指をぐっと立ててパネルの「変態」という部分を
ぱしゃぱしゃっと二回ほど接写した。
思いがけず出会った変態という類別に興奮しながら。
一時話題になった『全裸監督』での
ブリーフ一丁・山田孝之の姿が一瞬憑依したかのようだった。
カメラ持つ我こそ変態。
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我ら「人見知り」界隈では、
「人見知り 人見知る人に 人見知る」という名句がある。
人見知りにも、TPOによって強く人見知るときと、
思ったより人見知らないときがある。
また、そのお隣の「変な人」界においては、
変な人Aは変な人Bに感心して惹かれたり、
さらにまた変な人Cを呼び込む作用がある。
”変人”に「変わっているねえ」とストレートに伝えることはいいことだと思う。
伝えた当人は直球で「あんた、絶対変だよ。間違いないよ」とやや批判的にいっていても、
変な人は「変わっている」と言われると、あたかも自分が褒められているかのように錯覚するのだ。
「変わっている」という発言を巡って
互いの意思の疎通はされていないのだけど、
言った方は「変だ」という違和感をちゃんと示しているし、
一方の言われた方は言われた方で、なぜだろうか勝手に自分が肯定されたと錯覚する。
第三者が野暮な茶々を入れなければ、
もともとの二者間に損得はなく、誰も傷つかない。
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日本のMJことみうらじゅんさんは
雑誌に「変態」という活字を見るやいなやマイはさみとマイジップロックを取り出し、
その部分を切り取ってジップロックに入れてはジップをロックして取りためているのだと
いとうせいこう×みうらじゅんのラジオ『ザツダン』で嬉々として話していた。
たとえば居酒屋で飲んでいて小難しい議論からヒートアップしてしまったときなどには、
おでこに「変態」という切り抜きを取り出して貼れば、
「あー、落ち着いて見れば、人ってそもそもみんな変態なんだな」と思い直せるから、
というのがその主な理由だった。
翻って、偉いおじさんたちが討論モードで喧々諤々となっても、
エア冷えピタみたいに、おでこに「変態」の2文字をもし貼っていたらとイメージすれば、
「あー、そうだった、もともとみんなが変態だった」と一呼吸おいて俯瞰できるのだという。
・・・ひるがえってるのか??
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高柳町事務所にあった”あいさ”の記念誌『まちの足音』を読む。
高柳のキラキラ輝く人たちも登場されていて、いろいろまぶしい。
ふと、このまばゆさまぶしさに映っている部分と、
人間の「変態度」とは、真逆のところに成立しているんだなと気付く。
人も土も水も多面的な機能を抱える。
それはよしとして、
強烈に印象に残ったのは
鵜川のSぶえ君が「乙女座B型」という唯一点だった。
乙女座B型って、変わっているねえ。
じつに残念だ。
僕もだ。
きらきらの裏にはびこる変態サイドこそが
僕のテリトリーなのだなとまぶしいものを見るたびに
妙な自己肯定感がわいてくる。
性根っから、どうしようもない変態なのだ。
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輝け、柏崎。
そして、松之山キョロロのパネルの生物分類矢印に図示されていたように、
集え変態、高柳。
※変態度を中和するため、
話し言葉で使ったことのない一人称「僕」を使用してみました。
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by 907011
| 2021-03-13 08:22
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