山中記

月草。

昨日、新月。
”ときち家持”の跡の畑で小豆をまいた。

去年マサコさんにいただいた、山中で自家採種されて継がれてきたアズキ。
8月にまいて
12月にコタツに突き刺さりながら選った、自分アズキ襲名二代目。

家人の「ばー」が暮らした、ときち家持。
何十年かを経て、畑になっているとは、暮らしているその時は想像したんだろうか。
秋田の、まして非農家で生まれ育った俺などがその土に這いつくばってアズキまいているとは。
ご縁とは想像の域を超える、設計できないものだ。
翻って、この藤美屋は50年後にはどうなっているんだろう。

新月播種。
調べてみると、月と農業の言い伝えはけっこう面白い。


 * * *


名古屋~長岡~十日町~山中。
少し遠回りしながら戻ってきて、留守にしていた田畑をリセット。
ニンジンの芽が吹き、トマトは雨の影響かだいぶ青枯れしてしまった。
無企画にあれこれ植えて、どれが自家採種したミニトマトか、どれがいただいたトマト苗か、
どれが生き残るのか、はたして謎。
トマトを傘で覆うべきか、でもしたくないなあ。

4時過ぎ。
空を見に外に出る。日の出がだいぶ遅くなった。
焚き火と活字を眺めるイスに、「ほぼ日腹まき」を置きっぱなしでいたら、朝露でびっしり。

ビニールハウスの中で水をまく作業をしていた頃、「滑稽な話だよなあ」と思ったことを思い出す。
大きな傘をさして、その傘の下に水を引っ張って放水することはまさしく違和感だった。

でも、農水省のあの金がもし手に入れば、
どう見ても弱体化する冬の自分とかわいそうな鶏たちと少しの菜っ葉のために、
ビニールハウスと投雪機を購入したいなと夢想中。
てめえ(手前)で屋根をかけといて、雪に追いつけなくていよいよ雪を嘆くんだろうな。

「人間は自然に内包されている」。
間もなく始まる大地の芸術祭の北川フラムさんの言。
新潟でも同じような芸術祭が先にスタートしていた。
10月に旧笹川亭に石川直樹さんがやってくるので、その話は聞きに行きたい。テーマは「異人」だった。

 * * *

名古屋から戻った初日の火曜。
遊んだ身体もリセットすべく、朝から田に入って草取りをした。4時間ほどかかった。
昼に戻ると、神戸にいる”ナカガワ”さんから、イカナゴを大量にもらう。
大漁の年だったと、ありがたい手紙に書かれてあった。
あのヒトともあのヒトとも、まだまだ酒を酌み交わしたい。
たどってきた別々の過去をなぞって、どうでも自己肯定をしていけば、
その延長線上にある、(可視化できないけど)未来の動線のどっかで、たぶんまた交わることが分かるから。

離れていることと、そのヒトのことを想うことは異なる。
ただ、近くにいればなあとか、遠くにいってしまったなあとか、そういうことじゃない。


翌日水曜。
7時半から山中の取り付け道路の草刈り。
今年は13人も出られて、うち耕運機が7台も連なる様子は圧巻。
きんねん、はちべ、いちべ、たつみょう、まつみや、さぜん、へやち。
ザ・山中という光景を目の当たりにした幸せ。

春先には毎日点滴をして寝て断酒(途中から呑んでた)していた”さぜん”のじさ。
白いランニングと黒い腕カバーの間に屈強な腕が伸び、炎天下でビーバーを振り回していた。
田植えの頃からエネルギーを持て余して、とうとうやっぱりという感じでチェーンソーで木を玉切りしていた。
噂では、「点滴を打つペースを減らして欲しい」という声もあるとか。全快し過ぎて。

11時から公民館にゴザをしいて、「少しお口を湿らせて帰ってください」という労いの酒。
さぜんのじさは3月にノコギリの目立てを教えられなかったことが口惜しかったらしく、
「お(オラ)がアサリの出し方から全部教えてやるすけ」と、目立てを学ぶ会パート2でリベンジをはかっていた。
山中の樵(きこり)に学ぶ、山の道具とノコギリの目立てを学ぼう会。学びたいヒトは是非。
たぶん、終了後にまた少しお口を湿らせるんだとも思います。

「昼寝ができるのは若い証拠だ」と言われる。
「仕事ができない頃は、気をもんでよく眠れなかった」というのも昼寝の話。俺は電池切れで寝るなあ。
「年を取ったら、身体が思うようにならなくなって仕事に追いつけなくて、15分くらい寝るとすぐ起きちまってダメだ」そう。


昨夜は、荻ノ島公民館に集まって、
「生活素材としての草を知る。」ための勉強でした。

むかしより、わらをはじめ、すげ、ひろろ、たつのけなど、
農具や生活道具をつくるために、さまざまな草を活用してきました。
それぞれに特長があり、先人たちはその特長を熟知し、使い分けてきました。
そんな生活素材として重宝されてきた「草」の知識、技術を記録、保存したり、
できれば新たな活用方法を模索していけたらと思い、第一段階として座学を計画しました。


草の達人・ヨシマサさんを囲み、2時間。
チラシに載った草の他にも、
フトイ、ホタルイ、カラムシetc.と、
今も山では現役で使われる方もいる荷縄、ばっとり、てご、まんがい(まんげ、ゆきぼうし)などの民具。

memo.
・「木は腰で、稲は肩でしょうもの」。
・「田休め」(7月15日頃)にスゲなどを刈って、干した。
 ちまきを作ってイワスゲで縛る。
・下駄の緒などのワラでは対応できない強度が要るものにはカラムシ(オ)を使った。
・春先に雪にさらしてアクを抜いて柔らかく(細工しやすく)した。
・フトイはパピルスの仲間。パピルスは紙だけじゃなく、舟も作った。
・山傘をつくれる年寄りが荻ノ島ではあと二人。

・牛の鼻取り(田の代かきなど牛力の頃)の話。
 「牛も人を見る」。人によっては牛がさぼって、田の中に座って動かなくなったりした。
 「牛はあのでっかい目で人をよく見ている」。
 田の水は深めに張って、水の力で耕した。
 ミノを牛や馬の舎にうかつに置くと、食べられる。
 夕方、田から上がってきて、用水池や川で村のみんながそれぞれの牛を洗った。
 牛もくたびれるんだろう、「これで一日が終わる」と気持ち良さそうにした。


今後の活動として、タツノケ(龍のヒゲ)を採ること。冬に手仕事をやってみること。
ワラを用意して縄ないをすることが予定された。

今日は畔の草刈りへ。
前回、畔豆(ときち豆)を2,3本刈って凹んだので、今回こそはノーミスで。でもたぶん刈る。
誤る。謝る。

明日また朝早くから山中生産組合の仕事を頼まれたので、夕方早くから焚き火して酒呑んで休もう。
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# by 907011 | 2012-07-20 05:01 | Trackback | Comments(0)

名古屋。

大学バド部の友人、ノザキの結婚式で名古屋に滞在。
土曜未明の2時半に山中を出て、同じく仲間の十日町カサハラと合流。クロス10に軽トラ眠る。

前日。
雨降りの後を見に田んぼにいって、携帯電話知らないうちに大いに水濡れ。
壊す。
今私は名古屋ナイトにおいて、「ドコモ管理品」と書かれた携帯電話を携帯してます。
帰ったら柏崎まで出ないと、俺のらくらくフォンまがいのニュー電話が返ってこない。

カーナビ、携帯電話、車、公共交通機関。
これらがなかったら名古屋の結婚式など、とうに参加をあきらめるだろうし、
きっと便りも、他の仲間から風のうわさで聞く程度だったはず。

年男年女などになりながら、でも今回も、式を中断しながら「乾杯」が唄えてよかった。

乾杯 今君は人生の大きな大きな舞台に立ち ~って、だいぶうるさかったけど。
ノザキ(と愛すべき仲間たちに)、幸せあれ。

本当に素晴らしい式だった。
バド部の皆さん、相変わらずアホ全開(たぶん30半ばのニンゲンが可能な範囲の最大のアホ)でよかったです。
笑い死ぬとこだった。

ヒトって笑いながら死んでいくのかな。
あのヒトも、あのヒトも、このヒトも、
きっと笑い合いながらケガや病気と立ち向かえたら、それがいいな。その結果はどうあれ。
とにかくとにかく、幸せあれ。


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みんなどんどん頼もしくなっていく。


調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

斉須 政雄 / 幻冬舎





自分の常識に社会を振り向かせる気持ちでやっているなら、
自分自身は天然のままで、作為のないまま輝くことができますよね。
日常生活なんだもの。
ぼくはいつも、お店の若い人たちにも、
「常識はしょせん人間の作ったものだから、自分の常識を作ればいいじゃない?」
と言っているんですよ。
常識に迎合している若い子というか、年寄りじみた言動をする子を見ると、腹が立ちますね。
群れからはずれるには、それまでとは違ったことを試してみるしかないに……と。


旅の書。『調理場という戦場』。


ぶち当たって、頭にタンコブを作るかもしれないけど、いいじゃないですか。
痛いのは自分ひとりなんだから。
タンコブを作るのが嫌なら何にもできない。
もしタンコブを作るのが嫌な子が「コートドール」のスタッフにいたら、
ぼくが親切でタンコブを作ってやります。
無傷でいい思いをするなんてことは、ないですから。



日本を経つ時、「もう、二十代は捨てた」と考えていました。
乞食ほどの貧しい生活ではないけれど、
薄給の中で長い下積みの期間をフランスで過ごすということは明らかでした。
「いいとか悪いとかということではない。『そういうことなんだ』」と思っていました。


これでも料理人(と経営者)の話。


ボタンひとつで何でもできるというところまで行ってしまえば、
ぼくの出したい料理はできない。
いいお客さんも来ない。
おいしいというのはラクなこととは意味が違っていますから。
みっともなさや不便さを介在させないと、成り立たない。
仕事の仕方に関わることなのです。
このでこぼこを組み込んだラインを日々の習慣という潤滑油で苦もなくやってのけるから
お客さんが来てくれる。
このことに対しては、ぼくなりにですが、ただ単に回顧しているだけではない十分な意味を感じています。



料理長は、レストランの中では、
「思いが完全に満たされて終わり」ということはないのです。
慣れきってしまっては終わりです。
だから満足できない自分でいないと、お店の持続はありえません。



ぼくが経験したことで言いますと、
その意味での「楽しさ」というものは、きっと、
苦しさを抜けていないと掴めないんだと思います。
「板一枚の下が、もう深海だ」とでもいうような意識を経た後に、
最高の楽しさがやってくるような……。
ものごとに一面があるとしたら、表と裏の両方の知識と経験を操縦できる自分になりたいと思っています。
清潔な部分を欲しがるならば、廃棄するものも、
同じくらいのパワーで処理する必要がありますからね。



みんなと同じにならなければいけないと思って仕事をしていた時には、
非常に疲れていました。
だけど、もしかしたら、みんなと同じではないところが自分のよさかもしれない。
そう思うと楽しくなってきました。
それまでのぼくの原動力は、日本で底辺をはいずりまわっていたという悔しさだった。

だけど、だんだんと「楽しくやろう」と考えられるようになったのです。
何でもできることが大切なのではない。うまければ何をやったっていいのだ。
いやもちろん、今でもヘソ曲がりの部分は持っていますよ。
口当たりのいい生き方や言動をする人には「そうやっていつまでもウソを言ってろよ」と虫唾が走ります。
口当たりのいい人と仕事をする気は、毛ほどもないのです。




誰にも頼れない中でとっさに作るものにこそ、
作り手の人間性があらわに出ます。
その人が常に何を考えているのかが、いざという時にはっきりと表れる。
火事場の馬鹿力を必要とする時には、
その人個人の考えと力をさらけ出すことになる。
毎日、馬鹿力が出ればいいと思っています。



「これは夢のような幸運だ」と思っているうちは、
その幸運を享受できるだけの力がまだ本人に備わっていない頃だと思うんですよ。
幸運が転がってきた時に
「あぁ、来た」と平常心で拾える時には、
その幸運を掴める程度の実力が宿っていると言えるのではないでしょうか。



つまり、人生に近道はないということです。
まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどりつく。
これは、ぼくにとっての結論でもあります。
技術者としても人間としても、そう思う。
若い時は早くゴールしたいと感じていることでしょう。それもじれったいほどに。
ぼくもかつてはそうでした。
でも、早くゴールしないほうがいいんです。
ゴールについては、いい悪いがあるから。
成功を手にしたいというのが人間として当然あり、
しかし人は成功を手に入れたとたんに厄介なものを抱えることも確かです。



<いい本を読むと元気になりますよね?>


ぼくとしては実行しないと知ったことにはならないし、
実行して結果を見てはじめて「このことを知った」と言えるのだと思います。
ですから、読書をする時にも、ただ単に読んで「知った」ということはありませんし、
大量の本をむさぼり読むからすごいとも思いません。
すばらしいなぁと思ったら料理にするだけ、
シンプルな読書法ですね。



ぼくの夢は、「有名になること」ではありませんでした。
人間ですから、生々しい欲望がないとは言いませんが、
夢というものは、きっと、ずっと幼い頃から見つめていたところにあるのではないでしょうか。
ヘンな入れ知恵がつく以前に、自分は一帯、どうしたかったのか?



なんで生き方の問題が仕事の問題かと言うと、
ぼくが見てきた範囲で言いますと、若い時の才能とか技量には、あんまり差がないからなのです。
結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。
才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、
生きる姿勢が多くのものを生むからです。



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この本に掲載されている「コートドール」の調理場の写真は、
まるで軍艦のような迫力に満ちていますね。十六年の時間を感じます。
あまりキレイに撮らないでくれたのがよかった。
光を飛ばしてただただ白く光るまな板を撮ってもらったとしても意味がないから。
調理場とはそんな場所ではない。もっと気迫に満ちた戦場です。




名古屋ナイト~未明。終戦。
残りを高速バスで読みます。

何度読んでも自戒に満ちた本です。
いい本を読むと元気になりますよね。

あとは山に帰ろう。
明日は田の草取りをしよう。
18日は山中の村の草刈。
19日、新月。小豆をまく。
21~22日は、長岡で小林茂カントク(今、松之山でドキュメンタリー撮影中)の対談。
23日は(生きていたら)、白倉の滝を登る。
次の新聞の体験取材記。


 * * *


<明日の光を体に浴びて
 振り返らずに そのまま行けばよい
 風に吹かれても 雨に打たれても
 信じた愛に背を向けるな>


みんな、それぞれの舞台でやって、集まったときはまた「乾杯!」。
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# by 907011 | 2012-07-16 05:02 | Trackback | Comments(0)